前のページへ 次のページへ
mza_pan7.jpg (41852 バイト)
HIDEMISAKASHITA坂下秀実1953年6月22日生まれ東京都出身KEYBOARDS,VOCALS.71年に、当時高校生だった森園勝敏、中村真一、岡井大二が結成していた“ザ・サンニン”に参加。坂下の参加で、4人になったとともに、バンド名を四人囃子と変更。以後、四人囃子の歴史が始まる。その独特のオルガン・サウンドに定評があった。78年の『包/PAO』まで在籍。四人囃子脱退以後は、坂下グループとして、五輪真弓などのバックを手掛ける。また、82年に岡井大二や長沢ヒロ等とともに、ペグモを結成。その後、ペグモのメンバーを中心とするスクープを結成。バンド解散以後は、アレンジャーなどとして活躍し、今日にいたる。「ギターの森園勝敏と学校が一緒で、森園がやってたバンドに僕が入るかたちで。当時はディープパープルとか、そういったハードロックや、まあ何でもやってましたよ。それが高校2年くらいのときかな。高校3年のときに四人囃子を結成したのかな。そのまま、結構プロ指向で、これで食っていこうと思ってましたね。音楽の指向性は、初めは合ってましたね(笑)。プログレでも、キングクリムゾンよりは、ぼくたちはピンクフロイドでしたね。周りに近い音楽性を持ったバンドですか?まったくいなかったですね(笑)。対バンも音楽性の違うバンドとばかり対バンするわけですけど、踊る人には踊りにくかったんじゃないかな。まあ、それでも踊る人はいましたけど(笑)。まあ、孤高の存在だったかもね。孤立感ですか?まったくなかった。当時はみんな実家に住んでるから、食うには困らないし、もう好きなことだけやってれば良かったのね。それだからやってこれたようなバンドだし。仕事も好きなものしかやらなかったし。本当にやりたくないものはやらない、好きなものしかやらなかった。結局7年くらい、四人囃子にはいたのかな。やめたきっかけ?事務所のつまづきやごたごたとか、あって。四人囃子の音楽性が時代に合わなくなってきている、時代の趨勢に合わないみたいな状況はありましたね。その後にやったペグモはメンバーは昔から知ってる者ばかりだったから、すごくやりやすくて。ポップス系は好きだし。しかし、難しいですね。ああいうのは。ペグモで2枚出して、その後ほとんど同じメンバーでスクープというバンド名で、一枚出して。スクープの後は、アレンジとか、人のバックとかやったし。五輪真弓のバックとかやったし。その後はバンドはやってないですね、今ですか、これは趣味的にリズム&ブルースのバンドをやっていますよ。15人編成で、みんなプロなんですけど、みんな趣味という感じで。僕の中学時代は、リズム&ブルースが全盛で。そういうのも、すごい好きなんですよ。家では、ほとんど音楽を聴かないですね。自分がやっているのもほとんど聴かない。昔は聴いていましたけどね。一人の人を聴いていくと飽きちゃうでしょう。だから、いろいろ聴いていくほうがいいんですよ。だから、最近はJ-WAVEをよく聴いてます。コンサートも後援してくれたし(笑)。今回の話は、岡井からかな。去年の秋かな、彼から電話が掛かってきて。僕もそろそろ自分の音楽をやりたいなと思っていたから、そういう意味では、すごいタイミングが良かったですよ。しかし、まさかまたやるとは、夢にも思わなかったですけど。今回は作曲はすごい悩みましたね。なかなか曲ができないんですよ。昔みたいにみんなで音を出して、やっていくものじゃないでしょう。イメージするのは、サウンドのカラーをまず浮かべますよね。どんなカラーか?ヨーロッパ系でしょうね。泥臭さじゃなくて。空間的なものというか、それはずっとありますね。今回は僕は歌詞に関してはノータッチだけど、変わってますよね。変ですよね。よく書いたなと思って(笑)。結構、歌うほうも覚えられなくて苦労しているみたいですけど。まあ、最終的に、音楽に歌詞の意味はあんまり必要ないみたいね。(今回のライブで)昔の曲とか、やるでしょう、昔の曲とかやる人は恥ずかしいみたいね。特に『ゴールデン・ピクニックス』以降の曲が、みんなで詞を書いてるから、恥ずかしさが強いみたいですよ(笑)。みんな、かなり照れながら、練習してますよ」