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DAIJIOKAI岡井大二1953年7月8目まれ東京都出身DRUMS,SYNTHEDRUMS&PERCUSSIONS,VOCALS.高校時代に森園勝敏、中村真一と共に“ザ・サンニン”というバンドを結成。それが母体となり、71年に坂下秀実の参加と共に、四人囃子と改名。以後、現在の再結成に至るまで、常に在籍している唯一のメンバーである。彼のドラミングは当初から高い評価を受け、彼のプログレ指向がバンドに与えた影響は大きい。四人囃子解散以後はべ一シストの成瀬喜博とのセッションや、坂下秀美、長沢ヒロ等が参加したペグモ、といったグループに参加。バンド解散後は、スタジオ・ミュージシャン、プロデューサーとして活躍。「初めはクリームとかジミヘンとかが好きでね、もう3人バンドしかないって感じで、安易に始まって。そして、坂下が入って、4人になったから四人囃子と、安易なネーミングで(笑)。でも坂下が入る前から、僕がピンクフロイドとかの方向にグッとのめり込んじゃったんですよ。それで大きかったのは、71年のピンクフロイドの来日公演。箱根のアフロディーテでやったんですが、もうきたーって感じで。それで、これは絶対他のメンバーにも見せようということになって、その時の大阪公演にみんなを連れて行って見たんですよ。箱根の時にテープレコーダーを持って行ってね、『エコーズ』や、まだレコードになっていなかった『ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン』の演奏をこっそりとって、すぐ持ち帰ってコピーしましたよ。当時はそういったプログレみたいな指向性を持ったバンドはほとんどいなかったですね。よく言われてるほど、難しい音楽じゃないと思うんですよ。イエスは別としても、フロイドはねー、テクで売ってるものじゃないでしょう。ただ、雰囲気があるバンドが少なかった。たまにいても、そういったバンドの出るプログレ云々と言ったタイトルのついたコンサートには敢えて出なかった。今考えるといやなバンドだったと思いますよ。ライブハウスではジャンジャンによくでてましたね。初めは昼の部から始まって、夜の部、そして土曜の昼、土曜の夜、日曜の夜、最後は土目の夜昼4回となりましたよ。そして、CBSソニーと東芝EMlを除くすべてのレコード会社から、誘いがきて。レコードが出る前に四人囃子を取り上げてくれたのは、『ニューミュージック・マガジン』くらいかな。レコードが出た後は、TVにも出ましたよ。増淵さんが司会する番組で、「一触即発」を丸々10何分もやれたのを覚えてます。後半、森園のギターのシールドが抜けてしまいましたけど(笑)。結局、10年もやっていたわけなんですよね。メンバー・チェンジが多いと言われるけど、佐藤ミツル以外は、みんな周りでやっていた連中ばかりだから、あまり人が代わった印象はないですね。最後まで、僕だけが代わらず残ったのは、こんな馬鹿なことをやるドラマーが他にいなかったからじゃないですか(笑)。他のメンバーはもっとうまいドラマーの方が良かったみたいですけど(笑)。去年、ピンクフロイドとイエスが来日したでしょう。僕はそれぞれいったんだけど。フロイドなんか3回も見ちゃって。その時、もう体がうずくものがあってね。それは、昔の曲で盛り上がったとか、そういう事じゃまったくなくて、新曲のほうが全然いいと思ったのね。彼らって、前しか見てないでしょう。新しい曲が良くて当然ですよ。過去がどうのこうのとか、伝説のとか関係ない。そこがすばらしいと思いましたね。それで、去年久しぶりに佐久間に会ってね。僕も彼と同じような仕事をしているから、彼の仕事ぶりを見てて、正直言って、盗みたいと思ったね。そうしたら、最近何かやろうとしていることはないのか、とかそういう話になっちゃって。何かがピーンと来たのね。そのころ、レコード会社のディレクターからも何かやらないと電話が掛かって来たりとか、前に四人囃子のマネージャーをやっていた者が10年ぶりに戻ってきたりとか、いろいろ周りが一斉に動いてきたんですよ。また、前に四人囃子の照明やPAをやっていた者と道でばったりあったりとか、もう、偶然が重なったわけ。これは、時代がやれって言ってるんじゃないかなと、思ったわけ。ここまで、偶然が重なるということは、時代がやれと言ってるんだと。また、森園とは彼のデモテープを手伝うので会ったりしたけど、指向性はやはり違うなと。また、佐藤ミツルは、ハードロック少年なので、あっ、もう少年じゃないか(笑)、彼もちょっと違うかと思って、とりあえず、佐久間がギター出来るので、スタートして。結局、四人囃子に長く在籍した上から順の3人が集まったわけです。新作がロックしてるって?そりゃあ、そうですよ。今回、気をつけたのは、大人のロックを聴かせるといっても、爺臭いものになっちゃだめだということ(笑)。でも、ライブの時、うまく手が動くかどうか心配ですよ。ほんとに1O年ぶりだから。映画「バロン」の家来みたいにならないようにと思いますが(笑)」