四人囃子 新しくも、元どうりの3+2=4
それは、一本の電話から始まった。
電話は岡井大二から、佐久間正英に掛かってきた。
そのときは、バンドをやることなんて、岡井は
毛頭考えてなかった。とりあえず、昔のバンド
仲間の活躍を見て、ひとつ同業者として、彼のやり方を
勉強したいと思っていた。
しかし、そのころ、佐久間は自分の年代が聴ける、自分なりの
ロックをやりたいと考えていた。 また佐久間の場合、編集盤のCDの発売に伴った、
プラスティックスの再結成ライブが去年の11月1、2日に
芝浦インクスティックで行われ、大変な盛り上がりを
見せるという、最新型の伝説を作っていた。
またまた、岡井は去年のイエス、ピンクフロイドの
来日公演を見て、体がうずくような、興奮に襲われた。
それは、レトロとしての 感動ではなく、常に前進して行くものが
見せる、永遠に“プログレッシブな姿に、
彼の中で何かが動き出した。
佐久間との久しぶりの再開は、意外なまでに同じ
問題意識を持っていることをお互いに気づかせた。
また、岡井の周りで、かつて四人囃子に
関わっていた人たちとの再開が相次いだ。
そして、出るのは、四人囃子の話だった。
岡井は決断した。再びやろうと。
そして、岡井の提案に佐久間はプロデュースさせてくれるなら
ということで、快諾した。そして、岡井は坂下秀実に
声を掛けた。一も二もなく、彼は同意してくれた。
森園勝敏とは、彼の仕事で会ったが、
彼とは新しい四人囃子の方向性とは違うということを
互いに確認した。とりあえず、岡井、佐久間、 坂下の3人で、四人囃子は復活した。
そして、新作『DANCE』は今年、 1989年7月21目にリリースされた。
新作では、フェアライトCMIなどの最新器材を
駆使したモダンなサウンドながらも、四人囃子らしい、
建築的な音、攻撃性、リリシズムは健在だった。
彼らは、今日でも日本のバンドには希な緊張感を持った
存在でありえている。 そして、その再結成に伴う、10年ぶりのライブでは、
昔の看板ギタリストだった森園勝敏と佐藤ミツルも特別参加して
おこなわれるという、まさに
昔からのファンにとっては、夢のようなライブとなる。
しかし、これは、同窓会的な乗りのライブではない。
これは、多くの若手ミュージシャンとの共同作業も含む、
今日にロックすることのあり方を問う、 1989年型の実にプログレッシヴなスーパー・ロックバンドのライブなのだ。
四人囃子が眠っていたこの10年、
日本のロックシーンは何が進化(プログレス)して、何が受け継がれなかったんだろうか? |