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ミュージシャンとしての芽生えということで、まずは幼少の頃からの音楽体験を・・・
 幼稚園の時にね、近所のピアノの先生のところに週1回通いだしたんだ。誰かの薦めとかじゃなくて、自分からやりたいと言ったみたいなんだ。まあ母親がやりたかったみたいで、最初一緒に通ったんだけどね。

 ピアノ・レッスンは、結局中学3年まで続けたんだけど、先生がすごく良かった。先生が良くなかったら続かなかったかもしれない(笑)。その先生、当時すでにお爺ちゃん、明治生まれの人で、あんまり練習していかなくても怒らないで、遊びに行ってるみたいな感じだったんだ。お爺ちゃん家に。ピアノの先生なんだけどお茶の先生もやっててね。たまに飲まされたの、苦いやつを(笑)

 ピアノの発表会?年に1回かな・・・何弾いたか・・・う〜ん・・・(笑)

 習っている人の数が多かったんで、発表会の場所は結構大きいところだったなあ。銀座のヤマハ・ホールとか、上野の文化会館、クラシックのホールね、ああいうとこでやったなあ。人前で演奏するのは、その頃から大丈夫だったね。どっちかつーと、“本番に強い”タイプだから(爆笑)

 正直言うと、小学校の時、ピアノよりも友達と遊びたかったね。ピアノを弾くよりは外で遊ぶ方が好きだったなあ ・・・子供の頃から蝶々が好きだから。これって父親の影響なんだけど。
 父親は蝶々だけじゃなくて、動物とかも好きだった。色んなもの飼ってたよ。犬、ネコに始まってヘビを捕ってきて飼ったりとか。で、ヘビを飼うにはエサを捕ってこなきゃなんないでしょ?そこで、カエル捕ってきて、そのまた蛙を育てるために、蚊とかハエとか捕ってきてね(笑)。蚊は育ててなかったよ(爆笑) ・・・当時、蚊はいっぱいいたからさあ。

 あっ、知ってる?小学生の時、大二が俺の家に来たの、半ズボンはいて(爆笑)。友達が大二の学校に転校して、その友達が俺の家の蝶々のコレクションを見に来る時に、大二を連れて来たって言うんだよね。それ、ずいぶん経ってから聞いたんだよ。その友達から。だから大二との付き合いはすっごく長いわけ(爆笑)。
この話「ゴールデン・ピクニックス」のライナーに書いてありますが・・・
 えっ、そうだっけ?(笑)。“呼んでもいないのに家に来た!”って話し(爆笑)。

 中学の時は、部活動はテニス部に入ったんだけど・・・すぐやめた(笑)。素振りと球拾いしかやらせてくれなかったから。1学期耐えたんだけど、もう耐えらんないって、そこでやめた(笑)。

 中学に入るとビートルズばっかりだったから、ピアノでもビートルズのピアノの曲とか演ったよ。小学校の、そうだな5、6年から、もうそういう音楽が流行りだしてね。

誰かの影響ですか?
 その辺の影響は・・・友達関係かな?小学生でラジオは聴いてなかったし。
レコードも子供には高かったですよねえ
 そうねえ、当時子供のお小遣いではアルバムを何枚も買えなかったから、4曲入りのコンパクト版。あれがお得だったじゃない?(笑)で、シングル版(EP)と同じ大きさで回転数はLPと同じ33回転だったんじゃなかったっけ?
ギターも弾かれていたとか?
 そう、中学に入ってギターを買ったのね。でコード覚えて、ビートルズのバンド組んだの。そのビートルズ・コピーバンドでは、ギター、リードの方じゃなくて、“ジョン(・レノン)”の役の方をやってた。
ピアノもですか?
 キーボードはビートルズの後期じゃない?!だからほとんどやってないね。前期の曲が多かった。
ビートルズ・コピーバンドの名前は?
 えっ、名前?(笑)・・・そんなちゃんと出たことはないんだけど・・・一応ね、“シルバー・ウルブズ”(SILVER WOLVES)。“シルバー・ビートルズ”じゃないんだけど(笑)。
カッコイイじゃないですか!岡井さんの“ジ・エレキーズ”や森園さんの“ザ・グループサウンズ”よりも・・・
 ああ・・・だから俺、四人囃子って、最初すごくイヤだったもん(爆笑)。こんな格好悪いの、ちょっと自分のバンドとして名前言えないなって思っちゃった(笑)

 

四人囃子加入のキッカケは?
 最初は森園。森園と俺が同じ学校、武蔵丘高校だったんだ。2人とも、クラスは別々だったけど音楽やってたので知っていたかな。話したりもしてたね。はっきりとは覚えてないんだけど。

 森園について俺がはっきり覚えているのは、マラソン大会ってあるじゃない。その時に“安保反対”って叫びながら走ってたの森園なの(爆笑)。変なヤツいるな〜と思ってね(笑)。
森園さん本気だったんですかねえ?それとも受け狙い?笑
 まあ森園は“流行りもの”は好きってのはあるよね。常に最先端でいたいってのがあるんじゃない?

 森園は文化祭みたいのに出てたな。大二も別のバンドで出てたけどね。ボクはまた別のバンドでビートルズの曲をやったりとかしていた。まあ“対バン”みたいな感じで出てたんだね。俺のバンドは、アビーロードとかステッペン・ウルフとか演奏してたよ。

 四人囃子の始まりとして演奏したのは、“御苑スタジオ”。そこに呼ばれて、いきなり弾いてくれって。弾いたのはヤマハのコンボ・オルガン。
演奏された曲目は?
 演奏曲目はねえ・・・「フィルモア」とか流行ってた時期でさあ、「アル・クーパー」とか演ったんじゃなかったかな。あの辺の曲を2曲ぐらい演ったんじゃなかったかな。でも、なんでも演ったよ、最初の頃は。
今までの音楽経験からして違和感なかったですか?
 いや別になかった。
大二さんは囃子ページのインタビューで“坂下はハード・ロック嫌いだ”っておっしゃってますが
 あれは違うんだよ!ハード・ロックが嫌いとかイヤなんじゃなくて、至近距離で大音量がイヤだったの。自分が何弾いてるのか分からない、それがイヤなの、いまだに嫌だね。だから狭いライブハウスは嫌い。音が飽和状態になっちゃうのが嫌なんだ。
 だから、大きな音が嫌いなんで、ハード・ロックが嫌いなわけではないんだ。クリームとかだってよく聴いていたし。ギターでコピーもしてたんだから。

 

四人囃子の最初の頃、ターンテーブルに一番よく乗っていたのは?
 あの頃は色んなもの聴いてたよ。みんなが。ただ、聴いてるのは似通ってたんじゃないかなあ?
やはりブリティッシュが多かった?
 いやブリティッシュだけじゃなくて。。。アメリカだと、例えばCCRとか、マウンテンとか、色んなのに手を出して、その中からチョイスしてったんじゃないかな、やりたいサウンドを。
 そうしながら段々オリジナルを作って、でオリジナルができつつある感じの時が、ピンク・フロイドとかプロコル・ハルム・・・で、その路線をやっていこうっていう風なことになってったんだと思う。
ブルースの影響は?
 森園はジミ・ヘンかなり聴いてたけど・・・俺はブルースはねえ・・・結構ダメっていうか・・・今でもね、それほど入り込めないって言うか・・・ブルース・コードがダメってわけじゃなくて、なんて言うの?“あの世界一色”ってのがね・・・どうもね。

 たまに1曲ぐらいってならいいんだけど。ロックだから、もちろんブルースはあるんだけど、泥臭いヤツばっかでこられちゃうと、どうもね・・・もうちょっと洗練されてる方がいいかなって思っちゃう。ブルースって、結構ワンパターンじゃない?ワンパターンってイヤなんだよね。飽きちゃうの。
フロイド路線というとキーボードや効果音の比重が大きくなりますが・・・
 茂木が入ったのはね、たぶんフロイド、プロコル・ハルム路線で行くと、ライブがきつくなっちゃう。それが理由だったんじゃないかと思う。ピアノ鳴らしながらほかのことやるってのはちょっと難しかったからね。プロコル・ハルムがそういう形じゃない?オルガンとピアノと分けちゃうっていう。
他のキーボーディストの影響は?・・・当時キース・エマーソンなどが売れてましたが・・・
 聴いてたけど・・・っていうかキース・エマーソンは茂木の十八番だった。“ミスタッチ”っていう、佐久間がベース弾いてたバンド。完コピしてたよ!
ステージでキーボードを倒して起こせなかったという・・・
 あっ、それは茂木!(笑)俺は起こせる(爆笑)。おっかしいんだよ“ミスタッチ”!見に行ったり対バンもあったと思うけど・・・キース・エマーソンってさあ、鍵盤を反対側から弾くじゃない?で、茂木のキーボードには、反対側から弾けるようにカタカナで“ド・レ・ミ・・・”って書いてあるの(爆笑)。あとねえ、ナイフ刺す穴もちゃんと開けてあってね(笑)
「一触即発」のサウンド・メーキング は?
 音作りは全員で練習しながら、互いに言い合って作ってった。みんなでなんだかんだ言いながらって感じじゃなかったかな。
フロイド聴きながらとかですか?
 うん、“エコーズ”なんかは特にそうだったけど・・・例えば「一触即発」でテープ・エコーを使ったのは、“エコーズ”のと同じだよね。森園も一時期よく“レズリー(・スピーカー)”使ってたね。いい音してたな、あれ。
キーボードとしてよく使われていたのは?
 よく使ってた機材はねえ、メロトロンはもう使ってたね。ミニ・ムーグ、ローランドとかも使ってたし・・・音作りの原案段階でまず弾くのは・・・オルガン ・・・ハモンドが多かったんじゃないかな。ああ、あとローズもあるか・・・
四人囃子でプロ・デビューする時に全員で楽器を揃えたそうですが
 その時買ったキーボードは、“偽ハモンド”(笑)。“エーストーン”が出してたハモンド。トランジスタ使ってたのねそれは。ホントのやつは真空管でトーン・ホイルってのが回っててさあ。
 “偽ハモンド”にしたのは、値段がねえ、一人だけ(キーボードだけ)高くなっちゃうんで、しょうがなかったのね、お金なかったし。
メロトロンって扱いにくくメンテも大変だったそうですが・・・
 メロトロンは、秒数が決まってるんで、ロング・トーンが使えないっていうか、出す順番をちゃんと決めておかないとだめだったね。故障?結構したと思うな。テープ切れちゃったりとか。でもねえ、あれ全部レンタルだったから。
 当時ねえ、何でも高かったんだ。キーボードは。うん・・・ちょっとなんか買おうとすると70、80(万円)だから・・・当時の70、80って、大した金額だよ。ミニムーグもローズも、本物は高かった。
即発のレコーディングで何か印象に残っていることはありますか?
 う〜ん・・・
色んな形で演奏してきた曲が1つの形に固まる瞬間ですよねえ?
 当時は・・・フロイドもそうだったんだけど、ライブをずーっとやってきて、段々曲が固まってくるんだよ。そうやって固めていったやつをレコードにするっていう、そういうパターンをみんなやってたよね。そういう意味では、固まっていたんだと思う、だからすんなりレコーディングできたし。今は、それが逆だからさあ、曲ができてレコーディングして、でライブどうすんだ?!できねーぞ!みたいな ・・・(爆笑)
「一触即発」に収録の「ハマベス」の曲名は、坂下さんと森園さんが決めたそうですが・・・ネコのあごの下を撫でることが“ハマベス”なんだよ、という話を聞いたのですが ・・・
 そう言われてるらしいけど、俺、覚えてないんだよ(笑)分かんない!(笑)
 でもねえ、あの曲はもともと「ネッシー」に付いてた曲なんだよね・・・
業界の通例では、四人囃子=プログレとされていますが・・・
 四人囃子=プログレって呼ばれることは、やってるときからすごいイヤだった。曲を作る時もなにかとらわれなければならないっ、てのがあって、それがすごいイヤだった。だから「SWEET LOVER SONG」なんか、ああいうのはいけないのかなと思っちゃった。
 いけないのは、“プログレッシブ”っていう言葉が、ただのカテゴリーになっちゃったことだよね。ホントの意味でのプログレッシブってのは、すごくいいじゃない?そういう姿勢をいつももちながらやってくプログレッシブ・バンドって言う意味だったら、全然問題ないんだけどね。いずれにしても、俺は、基本はポップスだから、60年代の・・・

 

佐藤満との出会いは?
 みつるは北海道にいたのね。で、北海道の“ウィークエンド”っていうイベンターやPAをやっている会社の人が、いいのがいるからって言って紹介してくれて、北海道まで出掛けていってセッションをやったんだ。

 候補としてもう一人ギタリストがいたんだけどね。そのセッション、NHK-FMかなあ、ついでに放送番組にしちゃって、オンエアされてるはずだから、どこかにテープ残ってんじゃないの?

 でね、みつる、むちゃくちゃウマイんだよ!むちゃくちゃ!しかも、もう1人の候補者の人は歌がちょっと・・・だったので、歌えないとダメってのがあったから、もう みつるしかいないとなったんだ。

 みつるはねえ、間奏とかねえ、すごく考え抜いた末にもってくるんだよね。練習するタイプで。で、ツインにしたりとか、結構こってるじゃない?考え抜くタイプだよ。

 

一番尊敬するミュージシャンは?
 ・・・(笑)う〜ん、困ったな・・・一番はちょっと分かんないな(爆笑)
一番はなしと・・・何かそこに深い意味が?
 (爆笑)いや、別にないよ(笑)
今一番聴いているアルバムは?
 いま〜・・・今あんまり聴いてないなあ・・・昔から聴いてないんだよ(笑)・・・執着しないの(笑)・・・昔のも聴かないし。
無人島に行く時、1枚持って行くCDは?
 それもないな(笑)あっ、でもねえ・・・それって、要するに1番好きなCDってことね?!

 う〜ん、愛聴盤・・・愛聴盤・・・あんまり聴かないんだ、これが。気に入っちゃうと。うん。ジョン・コルトレーンの「バラード」とか好きで。歌のジョニー・ハートマンとかも。彼は聴いた方がいいよ!すごく良いから!どっちかって言うと“歌もの”の方が好きかな。でも好きなんだけど、あんまり聴かないようにしてる。慣れてしまいたくないから。
いきなりコルトレーンが出てきましたが、ジャズはかなり聴かれるのですか?
 ジャズも・・・好きなのは好きだし、嫌いなのは嫌いだけど ・・・(笑)全部そうなんだよね!ジャンルにあんまり関係なくて好きな人は好きだし ・・・どっちかって言うと、ジャンルよりも人で聴く方かな。ジャンルはいらない!なんでもジャズといえばジャズだし・・・
聴いてみて良かった人がジャズだったと・・・
 そうそう!そういうことよ。ロックといえばロックだし・・・
そもそもジャンルがあるから誤解を受けたんですよね?四人囃子=プログレって
 うん。そうなんだよね!   ピンク・フロイドはねえ、でもあんまり面白くないねえ・・・
えっ?ガクッ・・・笑
 でもねえ、当時は良かったんだよ。(四人囃子の)サウンドの方向が決まったから。それと当時は面白かった。
 箱根のアフロディーテに来たんだよね。そこで初めて見て、やっぱスゴイんだよ。曲に合わせて雲が動いているような感じで・・・それで結構はまっちゃってね。その後大阪まで見に行って、フェスティバル・ホールだったかな。音が回ったりとかして。
初めて買ったレコードは?
 ベンチャーズかなあ・・・ベンチャーズか加山雄三かもしれないな。
加山雄三さんの影響って大きいですか?
 大きい!
初めて買ったギターは?買ってもらったんですか?
 半々ぐらいだったかなあ ・・・“ハニー”っていうメーカーのリッケンバッカ・モデル。“ハニー”を消してリッケンバッカって自分で書いたんだけど(爆笑)
一番印象に残っている四人囃子のコンサート
 ミラージュ・オブ四人囃子(1972年4月杉並公会堂、初のワンマンコンサート)と、ディープ・パープルの前座と・・・

 ミラージュ・オブ・四人囃子はねえ、メンバー全員“これでいけるかな”って自信持ったコンサートだったと思うな。

 パープル前座は、やりやすかったんだよね。武道館とか初めてだったんで盛り上がったってのもあったけど。モニターが、自分たちのモニターってなかったんだけど、それなんだけど無茶苦茶やりやすくて ・・・その時は向こう(パープル)のスタッフ(PA)が良かったんだろうけどね。向こう(パープル)のモニターの“試し”みたいな意味あるじゃない?前座って。

 あとは“包”(日比谷野音)と“DANCE”(MZA有明)・・・ぐらいかな・・・俺、覚えてないんだよ(爆笑)
いわゆる“ステージ・フライト”は感じられますか?
 俺は“あがらない”から。本番強いから(笑)

 う〜ん、人によって怖がるタイプもいるけど、どっちかだと思う。でさあ、“怖いタイプ”は練習しまくるんだよね、で練習の時うまく行くんだけど、本番なると“とちっちゃう”、そういうタイプ結構多いんだけどさあ(笑)俺、逆のタイプなんだよ(笑)

バックとしてサポートしたミュージシャンにはどのような方々が?
 バックはいろいろやったよぉ、五輪真弓、水越恵子、アグネス・チャン、来生たかお...たくさんいるよ。
音楽以外の趣味は?
  フライ・フィッシング。最初はルアーだったんだけどね。これってねえ、父親譲りなのね。父親はトローリングまでやってたのね。免許取ってボートまで買って・・・

 シンガーのバック・サポートしてて、ツアーで全国回るでしょ。移動日は釣り三昧なわけ。みんなに午前3時集合とか言ってね(笑)

 釣った魚は、キャンプの時は自分でさばくけど、ツアー中は、持ってって料理してもらうの。で、良い店だとイワナの姿作りとか作ってくれるのよ。新潟ではとっておきのお酒、もちろん日本酒を出してくれて、サイコーだった!(ニコニコ!!)
キャンプも行かれるんですね?
 キャンプは毎年行ってる。1週間〜2週間かな。東北とか北海道とか。北海道は良かったねえ。地元の人しか知らない釣りポイント教えてもらってね。ただ、昔ツアーで走った旭川から釧路までの道路。当時は舗装されてなくて良かったんだけど、今舗装されちゃってね、あまり良くなかった。

 釣りを始めたりキャンプに行って、環境問題にも関心を持つようになったね。フライをやっていると、どうしても水生昆虫のこと知らなければならないから。。。最近“地球が危ない”とか言われているけど、本当は“人間が危ない”なんだよね。という訳で、今度はみんなでこういう問題も考えてみたいね!!