パンフレット  1995年6月10日 江東区役所文化センター        (提供:中島 靖雄さん )
出演者の顔写真については、肖像権・著作権の問題があるため、四人囃子メンバーのみといたします。また、広告などは省略しました。

実行委員長の挨拶

神愛保育園園長 新 澤 誠 治

(省略) 

 

お祝いのことば

江東区長 室 橋  昭

 

(省略) 

 

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プログラム

司会 ダディー竹千代
三 松 亜 美

 

* ELLIS
* ハンディーズ
* 水 越 恵 子
* 中 村 裕 介 & THE BLUES EXPRESS
* 森 園 勝 敏 with 四人灘子ファミリー
* おーかまタロー & 狼 人
* ジョニー吉長 & 金子マリ  ゲスト 野村義男
* あんべ光俊  ゲスト しばたはつみ

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プロフィール
PROFlLE

ELLlS
作詞・ヴォーカルを担当するエリと作曲・編曲を担当する近藤洋史からなるユニットグループ。
'88年前身グループ「LUKA」を結成。
翌年'89年レコーディングスタート。
'90年「TOMORROW」にてポリスターレコードより、デビューにあたりユニット名を「ELLIS」に改名。
3rdシングル「千の夜と一つの朝」がロングヒットを記録。
5thシングル「何もしてあげられない〜me1thing version〜」も有線を中心にロングセラーを記録。
オリジナルアルバムとして5枚目にあたる「LOVE100%」では、フレンチとアコースティックとをELLlS風に表現。新しい一面を披露している。
女性、人間、日常、恋愛といったテーマで作品を発表し続け、中高生はもとより、OL層を中心に支持を得ている。

ハンディーズ
1990年6月、都立江戸川養護学校の在校生・卒業生・教師で結成。カントリーからロック、歌謡曲まで幅広い音楽性をもっています。
障害者施設や、地元のお祭り、ライブハウス等で活動しています。
演奏する場所があればどこへでも行きます。
是非、お声をかけて下さい!
また、今回このコンサートに参加させていただきまして、本当にありがとうございます。
みなさんに楽しい演奏を、お届けしたいと思います!

水越恵子バイオグラフィー
本  名  水越恵子 (みずこしけいこ)
生年月日 昭和29年2月4日(水瓶座:O型)
出身地   山梨県富士吉田市
趣 味   スポーツ観賞、絵画観賞
好きなこと テニス
身  長  156cm
体  重  43kg
所  属  (株)トーラス・アーティスト TEL 03(5467)3295

1975〜6 フォークデュオ「姫だるま」として活動、解散後ソロ活動
1977.3  TBS系「8時の空」レギュラースタート、ソロ活動の地盤を固める
1978.6  「空よ雲よ小さな風よ」
        「しあわせをありがとう」発売
1978.12  アルバム「LADY」
1979.7  「ほほにキスして」
1982.2.21 LA録音、TOTOのバックによるアルバム「I'm fine」
1984.9.2  初の野外コンサート「Dear Summer Time」(日比谷野外音楽堂)
1990.10.26 「“TOO YOUNG”ワンスモア」(テレビ東京系「旅は風船」テーマソング)
1992.6.3「幸せになって」(テレビ朝日系「素敵!!名画の旅」エンディングテーマ)
1994.6. 1「TBS-TV系月曜ドラマスペシャル浅見光彦シリーズテーマソング 再会の街で/愛を聞かせて」

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鈴木 徹 (すずき とおる)
生年月日:1956年4月25日 出身地:東京 血液型:O型
1976年、「PRISM」でデビュー。4枚のアルバムとツアーに参加。
森園勝敏バンド、和田晃バンド、もんたよしのりブルースバンドなどの他、小島良喜(Ky.)、塩次伸次(Gt.)、吉野藤丸(Gt.)などのセッションや様々なアーティストのレコーディングやツアーに参加。

六川正彦 (ろくかわ まさひこ)
生年月目:1951年7月18日 出身地:東京 血液型:B型
日大芸術学部に在学中にBASS GUITARを始め軽音楽部、ジャズ研に席を置く。
大学卒業と同時に あがた森魚のバッキングとアルバム「日本少年」に参加。その後南佳孝、吉田美奈子のバッキングを経て「大橋純子&美乃家セントラルスティション」に参加。スタジオセッションやライブセッションを始める。
数々のレコーディングやライブ活動を経て1990年よりプロデューサーとしての活動も開始する。長年のセッションアーティストとしての経験を生かした幅広い音楽性は勿論のこと、温和で誠実な人柄によりプロデューサーとしても高い評価を得る。
1986年、サザンオールスターズの野沢秀行(Per)と「Japanese E1ectric Foundasion」を結成。
「主なレコーディングアーティスト」
ジョニー吉長、上田正樹、大沢誉志幸、浜田省吾、三四郎、H20、森園勝敏、ブレッド&バター、桑名正博、桑名晴子、小比類巻かほる、大橋純子、美乃家セントラるスティション、TRAUMA、アリス、是万博邦、水越恵子、久宝留理子、橘いずみ、江口洋介、姫の乱心、もんたよしのり、小泉今日子、他
「主なプロデュース」
SWAY「徳間ジャパン」、ハミングバード「NECアベニュー」他

中村 裕介
<作詞・作曲・歌手・ギタリスト・ナレーター>
1951     横浜生れ。
1972〜1976全国の米軍基地将校クラブ等で演奏。
1977     中村さんたろうとしてレコードデビュー。
         <足柄山EXPRESS>として再デビュー。
1981〜1983グループ<WEEKIDS>として再デビュー。
         中村裕介と改名。
         作曲家としても出発。郷ひろみやボニー・タイラーのシングルレコード等を手懸ける。
1984〜1988   四人囃子の坂下秀実と<RYTHM& BLUES ORCHESTRA>結成。スタイリスティックス、アル・グリーン等と共演。
1990 ソロアルバム「ラ・クーシュ」発表。
1994 <THE BLUES EXPRESS>結成。

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三松亜美<ヴォーカリスト>
1962   横須賀生れ。
1989〜  NHK『音楽・夢・コレクション』にレギュラー出演。
      中村裕介氏と出会い、数々のセッションに参加。
1990〜  キングレコード等よりCD作品多数。
1991   NHK教育テレビ番組や、コカコーラを始めとする数々のCMに出演。
1992   オリジナルアルバム『3×3EYES TAKADA BAND』発売。
      四人囃子の坂下秀実氏と<AMI'S RIGHT ON COMPANY>結成。
1994〜  <THE BLUES EXPRESS>に参加。

THE BLUES EXPRESS
中村 裕介:VOCAL,E.GUITAR
飯塚 昌明:E・GUITAR,VOCAL
川勝 陽一:KEYBOARDS、VOCAL
黒沢 昇:DRUMS、VOCAL
山本安兵衛:E.BASS、VOCAL
1994年8月、'70年代初頭のYOKOSUKAをルーツとするコワモテのミュージシャン達を中心に結成された、ハード・ブルース・ロック・バンド。同年発足した「ブルースシティYOKOSUKA」の中核を担う重要グループである。
この半年は、『ブルースシティYOKOSUKAベイエリアツアー』を敢行し、横須賀・横浜・湘南地区での支持を集めている。

森園勝敏(Vocal、Guitar)

1954年、東京都中野区生まれ。
'71年、「四人囃子」でデビュー。

'74年、アルバム「一触即発」、'76年「ゴールデン・ピクニックス」をリリース。ソロ活動と共に「プリズム」「山内テツ&ダッドタイム・ロ一ルバンド」等に参加し、現在は「ELLIS」(ポリスター)のプロデューサーとして、また「ジョニー吉長バンド」等と活躍中。

「一触即発」などに聴く、空を駆け抜けるクリーンな音、そして見事なまでのギターワークは、「CHAR」とならび日本が誇る世界的なギタリストであり、「フランク・サッパ」や「リッチー・ブラックモア」、「ジム・ケルトナー」等も彼のファンである。(ジム・ケルトナーとはジョイントアルバムを制作)

最近の彼は、ギターだけではなくあのセクシーな歌声を聴かせてくれている。

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佐藤満 (Guitar)

 北海道旭川生まれ。“CLOSE TO THE EDGE”“MARTIANROAD”などで道内で活動後、'77、“四人囃子"に加入。『PRINTED JELLY』『包』『NEO-N』などをリリース。

'82、ソロアルバム『BLOOMING ALONE』制作。ソロプロジェクト“DEPTH”でライブも行う。

'80〜'92、“ふきのとう”。'88〜'90“清水宏次郎”。'89、“四人囃子リユニオン「FULL-HOUSE MATINEE」参加。他に“細坪基佳”(ex.ふきのとう)“天野滋"(ex.“NSP”)“135”“ダイアモンドユカイ”“東京おとぼけキャッツ”“沢田聖子"“あんべ光俊”等サポート。

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岡井 大二

1953年 東京都杉並区生まれ。
1968年 高校在学中にバンド「四人囃子」を結成。
1974年 レコードデビュー。1979年の解散までに6枚のアルバムを発表。
1980年 べ一シスト鳴瀬嘉博(現カシオペア)等とインストルメンタルバンド「Quiz」を結成。スタジオ及びライヴ演奏活動を展開。他方で、他アーチストヘの楽曲提供、アレンジ、プロデュースなどのワーキングも手掛け始める。
1982年  「Quiz」と平行して、作曲家長沢ヒロ等とポップバンド「PEGMO」を結成。2枚のアルバム発表の他、多数のCM作品を制作。
1985年 直接の演奏活動を休止して、TV朝日“ピカピカ音楽館”の音楽制作プロデュースなどを行う。
1987年 演奏活動再開。「徳永英明」etc.のコンサートツアーに参加。
1989年 「四人囃子」を再結成。アルバム『Dance』とライヴアルバム『Fu11-house Matinee』を制作・発表。
1990年 プロデュース、アレンジ、作曲活動再開。

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坂下秀実
<ピアニスト・編曲家>

1953.6.22 東京生まれ。
1971.5   森園勝敏・岡井大二・中村真一と共に四人囃子を結成。
1973.11  映画『20才の原点』オリジナルサウウンドトラックをリリース。
1974.6     東宝レコードよりファーストアルバム「一触即発」リリース。
1975.2   フランク・サッパ公演のオープニングに出演。
1976.    ディープ・パープル日本公演のオープニングアクト。
  .5    「ゴールデン・ピクニックス」リリース。
1977.8   アルバム「包・パオ」をリリース。
   7   「プリンテッドジェリー」リリース。
1980.   来生たかお・五輪真弓・水越恵子らのアレンジ、レコーディング、バックミュージシャンをつとめる。
1985.   アニメ『ムサシの剣』の音楽監督。
1989    再結成の四人囃子、10年ぶりにBMGビクターよりアルバム『ダンス』をリリース。
  .9.   エムザ有明にて、コンサート『フルハウスマチネー』を開催。
  12.   ライブアルバム及びVTR『フルハウスマチネー』をリリース。
1991.   CM音楽を手掛ける。

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中村真一

1952年、杉並に生まれる。

1968年、「四人囃子」に初代べ一シストとして参加。1974年に「一触即発」レコードデビュー後、引退。ロックンロ一ルテンポでのリズミカルなタッチと、スローなメロディーでの、波がよせる様なタッチのべースフレーズは、聴くものを圧倒させてしまう。

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中村 哲

1954年、埼玉県大宮市に生まれる。
1972年、「安全バンド」でデビュー。キーボードプレーヤーとしても、またサックスプレーヤーとしても日本のロック界(四人囃子・竹田和夫オールスターズ・井上暁之バンド・山下達郎バンド)で活躍後、プロデューサー・アレンジャーとして現在日本の音楽界の第一人者である。

 光GENji「太陽がいっぱい」(レコード大賞編曲賞) 中森明菜「タンゴ・ノアール」(FNS音楽祭編曲賞) 米米CLUB rシェイクヒップ」(ゴールドディスク大賞編曲賞) 「君がいるだげで」(日本歌謡大賞編曲賞)など、その実力ははかり知れない。

 

Johmy Yoshinaga (ジョニー吉長)

本名:金子信喜1949年3月21日北九州小倉に生まれる。アメリカン・ハーフのA型。'65年、神戸を放浪中にスカウトされ、全員がハーフで構成された幻のブルースロックバンド<チェック・メイツ>で、ボーカリストとしてデビュー。わずか16歳で本格的なプロ活動を始める。68年、単身上京後、ジョー山中等と<カーニバルス〉を結成。'72年12月同解散後<イエロー>を結成、ドラムスを担当する。当時<サディスティック・ミカ・バンド>、<キャロル>、<クリエイション>等と並ぶ、'70年代ロック・シーンを代表する実力派グループであり、日本で初めて「レゲエ」ビートを取り入れるなど、先駆的な活動を行う。今は伝説となった赤坂「ムゲン」等のクラブステージや、日本の「ウッドストック」と呼ばれた'74年8月の「郡山ワン・ステップ・フェスティバル」等に出演、一躍脚光を浴びた。また、泉谷しげる等のツアーやレコーディングをサポートし、泉谷が当時志向したフォークからロックサウンドヘの転回に強い影響を与える(代表作:「眠れない夜」)。'75年4月、1stアルバム「イエロー」発表。同12月LIVEアルバム「VIBRATION」発表。'76年、イエロー解散後、パンタ、ジョー山中等といくつかのセッションを経て、'78年<金子マリ&バックスバニー>に参加。'77年5月、初のリーダーアルバム「ジョニー」(G.山岸潤史・Bass鳴瀬喜博・Key.国府輝幸)発表、そして'78年9月、運命的な出会いの中から、Char、加部正義と共に<ジョニー、ルイス&チャー>を結成する。'79年11月、JL&Cの記念すべき野音デビューライヴアルバム「FREE SPIRITS」発表。'80年7月、金子マリと結婚。'82年、ジョニー・ルイス&チャー攻め〈PINK CLOUD〉へ。'83年、ソロ活動の中でも重要なエポックを刻む8thソロ「LOW CHILD」発表。以後、日本のロックミュージックの王道を歩み続ける<PINK CLOUD>の活動をべ一スとしながら、男の生きざまや・人生・大いなる愛といった普遍のテーマをブルースに込めて歌い続ける、独自のソロ活動を展開している。そして今年、森園勝敏(g)等と組む彼の<ソロ・プロジェクト>は、通算11枚目のソロアルバム名ともなった<JRSM(ジュラズム)>という名をキーワードに本格的な活動を開始。それは、彼が目指す<更なる音楽性>への挑戦であり、<ブラッドミュージックとしてのブルース>を希求する、新たな旅のはじまりとなるに違いない。

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1954年12月1日 東京下北沢生まれ。中学生の頃から歌い始める。
'72年        18歳でCharと出会い、スモーキー・メディスンを結成。そのパワフルな歌唱力と独自な表現力のヴォーカルは、“下北沢のJanis Jop1in”の異名を持ち、日本のロック史上伝説に残るグループとなる。
'74年 金子マリ&バックスバニー結成
     「MARI & BUXBUNNY」('76)、「We got to…1ive」('77)、「Shot the moon」('78)、「Super Natura1」('79)、4枚のアルバムをリリース。バンド解散後もソロとして、PINK CLOUD、RC SUCCESSION、上田正樹&サウス・トゥ・サウス、その他、数多くのバンドセッション、レコーディング等に参加。また、亀渕友香とのコーラスでも活躍する。
'81年VOICE&RHYTHM結成。大阪のバンド、ソー・バッド・レビュー、サウス・トゥ・サウスを母体とし、砂川正和とのツインヴォーカルはR&Bの濃いライブバンドとして話題を呼んだ。
'82年  アルバム「THE VOICE & RHYTHM」リリース。
'83年  プロデュースに佐藤準、Charをむかえ、ソロアルバム「MARI FIRST」をリリース。
'88年  RC SUCCESSIONの全国ツアーにサポートメンバーとして参加。
'91年春 米米CLUB全国ツアー(東京、大阪)にコーラスとして参加。10月〜'92年3月、(日本テレビ)音楽番組『ROCK鳴缶』にハウスバンドとして出演。
'92年  6月、MAMA結成。ドラムス・松本照夫、べ一ス・藤井裕、ギター・ケニー井上、キーボード・ロケットマツから成るNEW BANDで、約10年ぶりのソロ・ヴォーカリストとしての活動を再開する。
'93年  10月、吉田建プロデュースによるソロアルバム『JUST LOVE』をソニーレコードより発売(9月21日シングル『Litt1e Dar1in'』リリース)。
'94年  6月、プロデューサーにL.A.よりデニス・ウォーカーをむかえ、MAMAファーストアルバム『Wie Pie』を江戸屋レコードからリリース。
'95年  2月〜ソロアルバムレコーディング開始。

 

野村義男

本 名:野村義男
出身地:東京都
血液型:不明
生年月日:1964.10.26

 1975年 姉の影響で、初めてフォークギターを手にする。
 1979年 TBS 「3年B組金八先生」出演により芸能界デピュー
 1983年 The Good-Bye結成、シングル「気まぐれ0NE WAY BOY」でデビューする。
 1988年 渡辺英樹(元C-C-B、現Vo ThM)、小沢亜呼(ZELDA)と三喜屋・野村モーター'S、BANDを結成。
 1991年 ギタリスト、コンボーザー、プロデューサーとしての活動がメインとなる。
 1993年 10月21日待望のソロシングル「TOKYO」を、11月21日には、ニューアルバム「1993」をリリース。
 1995年 3月10日、自己のインディーズレーベル「PEGレーベル」より1stミニアルバム「ELECTRIC GYPSY」をリリース。
       5月10日2ndミニアルバム「ELECTRIC GYPSY2」をリリース。

現在、サウンドプロデューサー、スタジオミュージシャンとしての活動を中心にミニライブ、テレビ、ラジオ等で活躍中。


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長沢ヒロ

1951年、 新潟に生まれる。
1972年、 「安全バンド」でデビュー後、「HERO」「PEGMO」「SCOPE」べ一スプレーヤー、ボーカリスト、そしてコンポーザーとして日本のロック界に常に新しい音を送り続けている。
       アニメの主題歌としては、「いそっぷものがたり」・「ひらけポンキッキ」など、そしてCMソングでは、お馴染みの「ハウスバーモントカレー」・「ハウスジャワカレー」・「ゆうパック」 ・「レタックス」・「明治スライステーズ」・「ゼナ」など、その才能には目を見張らされる。

 

あんべ光俊

1953年  9月16日岩手県釜石市に生まれる。
1974年  飛行船を結成。創作活動を始める。
1975年  飛行船として「しょうよう歌」でデビュー。
1977年  『風の時刻表』発表、「遠野物語」のヒットを残しバンドを解散。
1978年  『空と海のすき間から』でソロデビュー。オフコース・コンサートツアーに一年半ゲスト参加。
       以来、〈風と歌の旅人〉として星霜を越えてきた。
       オリジナルとしては9作目にあたる『夢の扉』は、その歩みの中培った大きな“ファンタステイク・アイ”が満ちている。特異なVOICEと心を鋭く見つめる詞の世界は、世代を越えたファンの根強い支持を集めている。
       また、ハートフルイベント・プロデュースとして1987年、鉄冷えに喘ぐ故郷との町で提唱した「釜石レボリューション〜一万人の虎祭り」は地域活性への大きな貢献を認められ、数々の賞を得てその規模を膨らませた。そのほか、音楽を通しての社会的働きかけにも意欲的に取り組んでいる。O型、乙女座

作品提供・著作
*坂本九「夜のしずく」 *オフコース「夜は二人で」「一億の夜を越えて」 *鈴木康博「愛をよろしく」 *時任三郎「LONG RUN」
#立風書房「さよならMY BOY青春はウォーミングアップと誰かがいった」

 

しばたはつみ

1952年、ピアニストの父とヴォーカリストの母の長女として、東京に生まれる。9才で米軍キャンプの将校クラブで歌い始め、11才『スマイリー小原とスカイライナーズ』の専属歌手となる。
15才の頃からはCMソングなどスタジオワークをこなし、代表作には、丸善石油(OH!モーレツ)、レナウン(レナウン娘)など約500本の実績を持つ。
20才の時、単身渡米し2年間アメリカ・ショービジネス界の舞台に立ち、1974年TBS『サウンド・インS』レギュラー出演の為、帰国。『合鍵』でレコード・デビュー。
フランク・シナトラやサミーデイビスJrの来日公演ではオープニングアウトを務め、特にサミー、デイビスJrにはサントリーウイスキーのコマーシャルでの共演まで指名されました。
1977年、『マイ・ラクジュアリー・ナイト』が大ヒット、NHK「紅白歌合戦」出場。
現在までにシングル33曲、アルバム22枚をリリース。
コンサートやディナーショーを中心に海外公演も含め、年100回以上のステージをこなしインターナショナルなショービジネス界で通用する数少ない日本人シンガーとして活躍中。

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ダデイ竹千代

1953年、鹿児島県生まれ。
本名、加治木 剛。
'70年代、日本のロックシーンにおいて、大きな軌道を残した「カルメン・マキ & OZ」の作詞家として活躍。
最近では、「東京おとぼけキャッツ」などをプロデュースしている。

 

主  催   :知的障害を正しく理解する会
後  援   :江東区障害者児の生活をゆたかにする事業団体連絡会
企画・制作 :サウンドクルーズ株式会社
         ボーイズ'アシビシャン
         知的障害を正しく理解する会
音響:株式会社トレジャーアイランドコーポレーション
照明:トループ
舞台:江東区文化センター
楽器:サウンド・クルー
進行:スナフキンカンパニー有志
会計:泉澤俊一(公認会計士)
記録:真崎可奈子

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以下、省略 ...

11ページ コンサート準備会を代表して(知的障害を正しく理解する会 代表 真田 文宏
        知的障害を知ろう!
12ページ 協賛・協力
13ページ (広告)
14ページ (歌詞)「この大きな空に見守られて」「ありがとう」
15ページ (歌詞)「少年の樹」「一億の夜を越えて」