旧 From the Fanコーナー(1997年〜2001年3月)
1998年度後半


石井かずともさん

 お久しぶりです。 2度目のメールです。

 ファイル14の田村さんのワールドロックフェスティバルにつ いてを読んで懐かしく想い、メールさせて頂きました。

 そうそうあの時のラジオ僕も録音しました。でも今は手元にありません。あのど迫力の即発を、何度もコピーのため聞き返したのでテープがワカメ状態で、もう聞けなく なり捨ててしまったのです。(カナシー)

 今思えば凄いテープだったなーと、おもいだされます。出演者が凄かった。ジェフベック(高熱のためドタキャン)カルメンマ キ&OZ (確か”昔”という曲をやっていた)イエロー、プリティードールズ、なんかが出ていたと思います。
 この時の即発は、ぜひともBOXSETに入れて欲しい音源です。ほんとにすごかったよー。

 話は少し外れますが(かなりはずれる)この頃、いまから20年位前ですが、かぜ耕士のタムタムタイムとか、大石吾郎のコッキーポップなんかよく聴いたなー。このH P見てる人たちは、世代が近いから 知っていると思うんだけども・・・・・。話が脱線してすいません。

 それでは、また。

(1998/12/26)(webmaster 青木の都合で掲載は1999年1月2日です。申し訳ないですぅ!)


mumpsさんからも志治さんへのお答えをいただきました〜

 ども、相変わらずしゃしゃりでるmumpsです(^^)。

 志治 克美氏のメール、コメントさせて頂きます。 まず、安全バンドの件、多分余程の事が無ければ、坂下氏では無いでしょう。

 この当時は、安全バンドはセカンドアルバム'あんぜんバンドのふしぎなたび'を発表した直後ですし、メンバーのキーボード/サックス担当の中村哲氏がいな い事は無いと思います。ただ、病気での代理(四人囃子と安全バンドは交流が深いですから、森園氏脱退 直後は、中村哲氏が小林克己氏と共にツアーに参加しましたし、スタジオ版のネッシーのサックスも中村哲氏ですしね)、もしくはツインキーボード構成を行っていたなら可能性はあります。

 個人的にも、安全バンドは四人囃子とともに、私には非常に思い出深いバンド です。
 そのうち、自分のサイトでも特集しよう!!! あと、ゴールデンピクニックス発表直後のTV出演は、以前BOXセットのコーナー でも紹介したフジTVの事でしょう。(映像は残っている可能性は高いと思いますね、音源は当方も所有しています)
 詳しくは、BOXセットのコーナーをご覧下さい。

では(^^)/、良いお年を。 (って年明けに掲載されたりして.....)
年明けになってしまって申し訳ないですぅ〜!陳謝ですぅ!(by webmaster 青木)

(1998/12/26)(webmaster 青木の都合で掲載は1999年1月2日です。いやほんとうに本当に〜申し訳ないですぅ〜!


田村 雄司さんから志治さんへのお答えをいただきました〜

 志治さんのメールについてお答えになっているかどうか判りませんが、いつものよう にショウモないことを述べさせていただきます。

 76年9月1日2ndアルバム「あんぜんバンドのふしぎなたび」の発売後、UHF千 葉テレビの日曜日午後7時20分から8時までの「ロックインパクト」なる番組であんぜんBUNDでオルガンを弾く坂下氏を観ました。(昔の事なので多少の記憶違いは あることと思います。いや、田村の話は大抵かなりの間違いがあります)

 当時、囃子は活動していなかったので、坂下氏はあんぜんBUNDのサポートをされ ていたのではないでしょうか。坂下さんは、黙々とオルガンを弾いていたという印象 があります。

 この「ロックインパクト」はジュリエット(この時はシラフだった)、デビュー前のプリズムなども登場した事があります。 この番組は見た人は少ないだろうな。

 次のテレビ番組はBOXSETのページでmumpsさんが掲載しているLive In FUJI TVのことと思われます。マキ&オズが出ていたかどうか記憶は曖昧模糊としています。矢沢のエーチャンがトリだったのは確か。

 そのころ夏休み期間で、NHKのライブでマキ&オズを見たような覚えもあります。どなたか詳しく教えて下さい。

 山岸潤史のセッションバンドは「QUIZ」のことと思います。しかし、ベースは成瀬氏だったとおもったけれど。割とメンバーの入れ替わりの多いセッショングループだったように思います。

(1998/12/26)(マスター青木の都合で掲載は1999年1月2日です。申し訳ないですぅ!)


志治 克美さん (38歳) ミシガン州在住

海外にもたくさんの囃子ファンがいてうれしいですぅ〜
志治さんの疑問にどなたかお答えを〜!お願いしますぅ (by ページ・マスター青木)

 はじめまして。
 70年代ロックのサイトをうろうろしていたら貴殿のサイトにめぐりあったので取りあえずご挨拶だけでもと思い、このメールを書いています。

 しかし、「四人囃子」のオフィシャルウェブとはびっくりしました。内容も実に豊富で、日本クラシックロックのマニアの私としては感激の雨あられです。

 米国での生活も6年目になり、レコード、CD、雑誌の類の収集は思いに任せませんが、日本から送付してもらっている「レコードコレクター」でQ盤のチェックをしております。先日も「アーリーデイズ」を頼んで送ってもらいました。演奏はいつものそれとは少し違うなとは思いましたが、森園さんのヴォーカルはいつもすばら しいですね。

 四人囃子はリアルタイムで経験していながら、広島という地方都市に住んでいたのでステージは残念ながら一度も見ておりません。それゆえに、貴殿のウェブを大変興味深く見させて頂きました。
 ただ、76年の暮れにレインボーが初 来日した時に広島にも来たのですが、その時の前座が「安全ばんど」でした。私の記憶が確かならゲストキーボードが坂下さんだったと思うのですがどうなのでしょう?何分20年以上前の事なので演奏もまったく印象がありません。
 それと、2NDの発表直後だったはずですが、TVで四人囃子が演奏するのを観たことがあります。残念ながら、ギターは既に小林克巳さんでした。他に、マキOZ などが出ていたのですが、その時のビデオなど残ってないのでしょうね。
 あと、82年にクロコダイルで「山岸潤史エクスペリエンス」(もちろん、ジミヘンの完コピバンド)で岡井さんがたたいているのを観たことがあります。ちなみに ベースは元OZの川上しげでした。最前列で観たのですが、その迫力はすさまじいものがありました。その時のテープはまだ持っていて、時々聴いています。

 最後に、メールファイルを見ると、私と同じように米国に住む同士がたくさんいるではありませんか。うれしくなりました。 これからも、チェックさせていただきますのでよろしくお願いします。 では、取り急ぎごあいさつまで。

(1998/12/25)


伊藤 敦さん(囃子ページのアクセス2万人目の方ですぅ〜)
囃子ライブ・カセットのお尋ねですー!どなたかご回答をお願いしますー!

 ご無沙汰しています。2万ゲットの伊藤敦です。

 本日、新宿ディスク・ユニオンで20年近く探していた “TRIPLE MIRROR OF YONINBAYASHI”をゲットいたしました! 状態はあまり良くない(帯ナシ、A面最後に傷、ジャケット表にシミ、ジャケット中 にシミ多し)ですがまあまあです。
 何よりも二十年ぶりにお目にかかったので感激して一回店を出て昼飯を食って心を落ち着けて保護いたしました。
 価格も8千円となかなか良心的。10年ほど前の「二十歳の原点」ゲット以来の感動 です。これで四人囃子のレコードで持っていないのはsingle「空飛ぶ円盤に弟が乗っ たよ」(実は一年ほど前、渋谷でゲットし損なったことがあります)のみとなりました。

 ところで割と確かな記憶なのですが、「包」発売前後にカセットのみで四人囃子の ライブが出たことがあったような・・・・
 四人囃子だけでなくsee-sawレーベルの他 のアー チスト(ジョニー・ルイス&チャー?ともう一組?)との競演だったと思います。 レコード屋に行っては「欲しいなあ」とか「カセットでしか出てないんだ」と思っ て眺めていた記憶があります。

 なぜ今まで黙っていたかと言うと、そのうち何方からかこの話題は出るであろう、 と思っていたからです。誰か持っている(知っている)人いないかな?

(1998/12/23)


早速のお返事、mumpsさん!(打てば響くとはこのことか。。。笑)
ちなみにmumpsさんのページは、http://www1.nisiq.net/~gnome/です

田村さんのメール見ましたよー。 その音楽専科は'75年の7月号、私の手元にしっかりとあります。 近日中に私のサイトにアップしますので、お楽しみをー。 ちなみに、このグラビア、すんごい間違いがあるのです(^^)。 何と、佐久間氏が坂下氏になり、坂下氏が臨時のベーシストになっちゃっているのでありました(^^)。

(1998/12/20)

ども、mumpsでっす。 田村さんの音楽専科の件、速攻で私のサイトにアップしました。

(1998/12/21)

ということで、mumpsさんのHPをご覧下さい!

webmaster青木のつぶやき。。。。ゴメンみなさま!
雑誌の記事&写真。。。掲載したいものを沢山保有しているのですが。。。
出版社の著作権侵害になってしまうので、オフィシャル・ページでは掲載できませんのです。
岡井さんからも「雑誌はマズイよ」ときつく言われていまして。。。ゴメン!


おなじみの田村 雄司さんです。ワールド・ロックの(悔しい?)思いでと、『音楽専科』についてのお尋ねですぅ

 笹だんごさんのワールド・ロック・フェスのレポートを拝読して久しぶりにメールします。

 当時高校1年生だった小生は、お金がなかったのと、そんな大きなコンサートに行く 勇気が無く、その日のオールナイトニッポン(だったと思うけど)のライブ録音を布団をかぶりながら聞いていました。四人囃子についての放送は「一触即発」のみでしたが、これが凄かった。
 前半の最後『金ぴかの時計を持って喜ばなければならないんだ』のあと、レコードとは違って森園さんのギターストロークのみで緊張感を盛り上げてゆき、そして最高潮で岡井さんのドラムがたたみ込んで来て、全員で固まりのような音をジャーン、ジャンジャン、ジャジャジャーンと一杯に雪崩れ込んで、『もう とってもいい気分さー』に入っていったのです。(曲を説明するのに小渕さん並みの ボキャ貧が悲しい)
 放送にはこんなインタビューがかぶっていました。
 梶原アナ(?)『四人囃子の登場の頃には照明も効果が出てきて、でも一瞬、空が表 情を変えたようでした』
 森園さん『ウン。よく円盤とか来るんですよ』
 アナ『え、本当ですか』

 夕焼けの下、その空の表情を変えた四人囃子。観たかった。無理しても聴きに行くべ きだった。笹だんごさんが羨ましい。この時のエアチェック(もしかしたら死語?) のテープはしばらく持っていたんですが、音の悪さ、録音ミスで途中で片面が終わる という情けなさで、ついうっかり捨ててしまいました。あの演奏はボックスセットに入れて欲しいものです。(掲載ページが違うか。ごめんなさい)

 以前、94年6月号の『音楽専科』四人囃子が取り上げられていることは掲載させて いただきましたが、その後もう一度『音楽専科』に掲載されているはずです。モノク ロでライブハウスでの演奏風景が載っていたように記憶します。当時、本屋で立ち読 みしましたが、つい買いそびれていまったのです。記事の内容は記憶していないの で、どなたかお持ちの方、ご紹介いただけないでしょうか。

(1998/12/20)


“笹だんご”さんのレポート第2弾!しかも2連発です!

新宿厚生年金ホールの四人囃子

 当時のロックコンサートの特色の一つに大物がゾロゾロ出てくるというもの がありますが、この日も四人囃子の他に、ミカバンド、クリエイション、サン ハウス等が出演しました。
 茂木さんが途中からステージに参加したような気もします。
 覚えているのは『ゴールデン・ピクニックス』のレコーディング 中で、「メンバーちょっとナーヴァスになっています」とアナウンスがあったんですね。
 曲は「カーニバルがやってくるぞ」、私の知らない曲でメジャーで 勇壮に始まってサビがインスト、マイナーでいきなり幻想的な雰囲気の曲です。
 ラストが「泳ぐなネッシー」でこの曲は毎回途中のアレンジが変わると いう評判でしたが、この日も仕掛けたっぷりの面白いものでした。
 尚曲の合間 に機材の不調か15分位もステージを中断しましたが誰も騒ぐ客など居なく て静かなもの。尚彼等のサウンドチェックが徹底してる事は有名でした。

ヤマハロックコンテストの四人囃子(審査員&ゲスト)

 ヤマハ主催のロックコンテストはライトミュージックコンテストといわれる もので、同名の音楽雑誌(ライトミュージック)も出版していたヤマハが全国をサーキットしていわばロックバンド版甲子園を形成しておりました。
 私が見 たのは1975年で、新潟公会堂で行われたもの。ゲストが四人囃子で彼等は当日の審査員も兼ねておりました。
 思い出深いのは「おまつり」をやったバン ドが出てきたのはいいんだけどちょっとヤンチャなバンドでMCとかイイカゲンだっ たんですよね、そしたら本家四人囃子の演奏では一曲目に同曲を持ってきてプロの貫禄を示したのでした。私が本物の「おまつり」を聞けたのはこの場 面だけですから幸いというべきですね。
 また彼等が審査して地区代表に選ば れたのは比較的穏やかなカレッジポップスからハードロックの間位、しかし サウンドはしっかりしてるというバンドが多かったように思います。

(1998/12/6)

“笹だんご”さん
伝説の「ワンステップ」&「ワールドロック・フェス」のレポート!です!

 初めまして。
 「日本のホームページ10万」にて知り早速拝見致しました。

 ファンの間では最早伝説となっているワンステップとワールドロックですがどちらも 見ることが出来ましたので報告致します。

 まずワンステップですが福島県郡山にて 1974年8月5日に四人囃子が出演しました。
 チケットには四人囃子、ジュリエッ ト、スモーキーメディソン、つのだヒロとスペースバンド他と記載されております。 尚スモーキーメディソンンとはチャーのバンドですが直前に解散しており当日ステー ジに立つことはなかったです。
 トリは言うまでもなく四人囃子。
 何故伝説になったか というとラストで盛り上がったのは勿論のこと、視覚的要素も強かった。スモークが たかれたステージにスポットが当たり背景の夜空とマッチングしてました。この時の ステージが後に別冊太陽『日本のロック50'S〜90'S』(平凡社1993年刊)の表紙を 飾ったのは記憶に新しい所。
 メンバー紹介では「イカ元気」等と楽屋落ちのMCを 喋ってましたが前日の寿司屋の一こまでしょうか?
 ツバの長いキャップを被ってプレ イしてましたが出番前にスタッフがこの帽子を被っており(キャッチボールを森園氏 としていた)借りた模様。
 最後の曲「一触即発」が終わり騒然となった会場。アン コール、アンコールの声高くなったのですが森園氏の声で皆納得しました。
 「コレ以 上綺麗なものがあるわけないだろう」

 個人的にはほぼ一年後(1975年8月7日)の後楽園で催されたワールドロックの方が好 きで、これは完璧の出来と思います。何しろ曲の間に(一触即発間奏が終わりテーマ に戻る場面)客席から拍手が巻き起こったのですから。
 それに彼等は東京のど真ん中 の方が矢張り似合う。「カーニバルがやってくるぞ」「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」 「一触即発」の3曲。
 忘れてならないのが最後に出てきたワールドロックフェスティ ヴァルバンドにおける森園さんの活躍で、もう一人のギタリスト、クリエイションの竹田 和夫と共にパッパラルディを盛り上げるべくツボを得たプレイをしておりました。

(1998/12/14)


岡井大二さん近況!(大嶋尚美さんによる電話取材!)

大ニさん近況
新人のproduce作業が続いている御様子。

* バーゲンズ ユニバーサルビクターから2月発売。(このbandについてはalbumとsingle3枚を既に製作済み)
* HEYS エピックから春先にdebut予定。
* 伊武雅刀 recordingに参加。 発売は未定。

(1998/12/6)


林 洋 さん

 この7月よりアメリカのボストンに転勤し、日本の音楽情報が少なく寂しい思いをしていました。
 とあるページのリンクにてこのページを知り、その内容の濃さにぶっ飛んでしまった次第です。

 中3の時に買った赤いLP(Triple Mirror)とヴァイオレッタのEPを思い出しました。なぜ、触発のA、B面が逆だったのでしょう。それにしても作詞のコンフィデンス氏が高見沢氏だったとは!
  ピクニック発表後、森園氏脱退の記事を読んで、友人と二人悲嘆に暮れたものです。脱退直後のツアーの記事で、プリがなすちゃの中の、エコープレックス(確かマエストロだったか?)でダブりで演奏されるフレーズまで几帳面にコピーしていた、とのコメントがあったような気がします。

 ところで囃子とほぼ同時期に活動したコスモスファクトリーは、未だ再評価されるに至ってないようですが、囃子が日本のフロイド・PFMなら、コスモスはムーディブルースに近いものがあると思います。トランシルヴァニアの古城(1st.)、謎のコスモス号(2nd.)、そしてブラックホール(3rd.)は、囃子のLPと共に日本のプログレの名盤だと思います(4th.)になって、段々と尻窄みになっていってしまったのが残念ですが)。

 残念ながら、囃子のステージは1回も見る機会がなかったのです。リットーのビデオは、途中でぶち切れているのが恨めしい次第です。ボックスセット発売のおりには、森園囃子の映像付きであれば最高ですね。

これからも楽しみに拝見させて頂きます。それでは失礼いたします。

(1998/12/6)


石井かずとも さん

 初めてお便りいたします。こんなすごいHPがあったのかと、毎夜見させていただいております。

 私は37歳になるドラマーです。

 高校の時ワールドロックフェスティバルのLIVE(ラジオ)でやっていたのを聞いて一色即発 あっまちがえた!一触即発、カーニバル等をコピーしておりました。
 高校はJRの平井で、駅前に島村楽器があり、そこで森園氏のギタークリニックがあるというので、行ったところ森園氏は、急病で代わりに佐久間さんが来ていて、クリニックというより人生相談のようなやりとり(プロのミュージシャンって保健ってどーなってるの)とかいう質問があって、(国民健康保険です。)みたいなやりとりでした。なつかしーなー。

 とりびゅーとばんどのコーナーは大笑いでした。
 これからも楽しいHPを期待しております。さようなら。

(1998/12/3)


シナモンさん (メールのタイトルは、“四人囃子のホームページがあったんですね!!”でした)

 はじめて、おたよりします。四人囃子のホームページがあったなんて知りませんでした。

 私も、73年8月4日の白樺湖音楽祭(野外)で、初めて四人囃子を見て、それ以来のファンです。ちなみに、この時は午後13:00からのコンサートでしたが、途中でどしゃ降りの雨となり、一時中断、その後再開されましたが、時間の都合上、一触即発1曲だけでしたが、小雨の中と言う事もあり、非常に感動しました。

 それでは、またまた!!(^^;  

(1998/11/9)


田村 雄司さん

 アリーデイズやっと買いました。
 吉祥寺の新星堂、WAVE,また別の新星堂と廻って最後に一枚だけ見つけました。
 もう吉祥寺には無いかもしれない (^^;)?
 しかし、こんなことでよいでしょうか。自分だって、パソコンを買わなかったら、このHPを知らずにいたら、「二十歳の原点」を聞かずに終わったかもしれない。実際、何も知らない昔のファンが沢山いるのではないでしょうか。高校からの帰宅途中、レコード屋でジャケットを見るだけで中の音を一度も聞く機会のなかった、あの頃の自分のようなファンが何も知らずにいるのではないでしょうか。

 なんでこんなことを云うのかって?このHPで一番悔しいこと。反核コンサートと日清パワーステーションの話ですよ。何で僕に断りも無く・・・って、思いますよね。馬鹿なファンが理不尽なことを云っているだけだって判っているんですけれど。
 ゴールデンピクニックスの日比谷野音、包の日比谷野音(場内アナウンスするロボットはこの時のもの)にも行きました。復活コンサートのMZAは2日通いました。その僕が何も知らなかった。うーん、こんなことが許されていいのか。

 というわけで、BOXSETも期待していますが、是非ステージでの復活を待っています。

 ところで、5年ほど前に中野のアングラ映画館に「二十歳の原点」を見に行ったのですよ。もちろん、囃子の音を聴くために。今回のCDには多少サウンドトラック部分も収録されていましたが、映画の中では囃子の音を聞いた記憶がないのです。そりゃー、映画が眠かったから断言できないけれど。要するに映画と囃子の音楽はほとんど関係が無かったのですね。

 最後に、またまた別の話。どなたもこの件は触れていないようなので。
 佐藤囃子がプリンテッドジェリーを発売する前、夕方のTV番組「銀座NOW」でハレソラ(その時分は晴れた空というタイトルで)を演奏しました。えっ、銀座NOWを知らない。キャロルがよく出ていた番組で。えっ、キャロルを知らないの。矢沢のエーチャンがいたの。その日もキャロルかクールスか、そんなグループをお目当てに来た観客が沢山いたように思います。岡井さんがシンバルをミュートするのが何故か印象的でした。会場のアンチャン達も囃子サウンドの迫力に度肝を抜かれていました。見た人多いと思うんだけれど。

(1998/10/24)


(さわやま けいじ さん)からのメールです!

 今まで何をしていたのかと言われんばかり、ロックのサイトは見逃していたとは
この2年どういう使い方をしてたかというと、、、、、
 アーリーデイズを買って初めてHPを知りました。BOXセットはとても楽しみです。今回のライブ音源は単なるさわりと信じてだし惜しみなくお願いします。
 君が代?はCHARのとはまた違い、70年代2大アーム使いと呼んでもいいんじゃないでしょうか。

 今も昔も日本のロックをお金を出して聴くという事は77年の中学生の2500円にしろ98年のサラリーマンにしても大変な事だと思う人は少なくないでしょう(そうは言っても70年を支えたグレイトな人達は極端な言い方をすれば裕福な家庭の出身ですが)。

 そんな中でキャロル好きの友達の家にあったのが一触即発でした。長い事借りてずっと聴いていました。そもそも古本屋でミュージックライフの増刊を買ったときに白黒コラムに外人記者がその当時の日本のロックの名盤を聴いて最高で5星評価をするというもので、その中で高い評価だったのが黒船と一触即発だったのでした。
 その後音楽専科にゴールデンピクニックスの特集がありいつも舐めるように読んでおりましたがしばらく聴く機会のないままで
いました。もともとは洋楽中心(輸入盤は安いので)だったのでますます聴く機会はなかったのですが、今とは全然違う素晴らしい音楽雑誌だったロッキンFにミツル囃子の記事があったので誉められるよりはしっかりしろと言われていたりしてたので録音テープの一触即発だけを聴き続けていました。80年代になってレンタルレコードが普及したおかげでやっと出会ったのゴールデンピクニックスでした(ジョニー、ルイス&チャーも)。その時は期待し過ぎたのか、全然良くなくてがっかりした記憶があります。

 今回のマーキーの岡井さんのインタビュー通りで日本のプログレという言葉がいけなかったのでしょう。大学でバンドをや
るようになって(ベース)音が良くわかるようになって、ジャンルが広がってからある日聴き直したときの衝撃は凄かった。しばらくは、朝起きる時は必ずフライングがかかるようセットしてなす茶で起きるという生活を続けておりました。
 そして感動のMZAライブにつながり、NEOーNと出会うのでした。二十歳の原点は一度池の上のカルトショップ(この店は前は渋谷の明治通り沿い)で見たきりでずっと気になっていました。

 こうして盛り上がっていたとはおくればせながら参加していきたいと思いますのでよろしくお願いします。

 名盤復刻はいよいよNOIZとクロスウィンドだけとなりました。誰かお願いします。

(1998/10/22)


川島 真さんのメール
(メールのタイトルは、「まさか、四人囃子のサイトあるなんて!!!!!」でした。ちゃんとありますよーー!!)

本当にビックリしました。本当に、突然に、幸せですね。
PCで「ゴールデンピクニック」をかけて、レディビオレッタを聞いてYahooを見ていたら、検索項目になにげなく、「四人囃子」と入れたら、でてくるではないですか!
本当にまじめに仕事(徹夜)してよかったです。
まだまだファンが続いているのですね。
私がファンになったのは20年前ですから、ファンの年齢もあがっているでしょう。
私は森園のファンです。
理由は誕生日がいっしょだから。
昔、妹がLP「ゴールデンピクニック」を買ってきて聞いているところ
へ私がとおりかかると、「この人、御兄ちゃんと誕生日いっしょだよ」この一言でファンになりました。すごく昔の話ですけど。
これからは、このHPをお気に入りのHPにして楽しみます。
サイト開設された方の尽力に感謝します。

(1998/10/21)


唯是さんの「ひとりごと」ですー!

 1992年に、「東京ムラムラ」というイヴェントがあって、その中に、ジュリー・クルーズの公演があった。 その時のメンバーが、
Kb:清水靖晃
B:細野晴臣
G:佐久間正英
Kb:モーガン・フィッシャー
だった。今にして思えば、元はっぴいえんど+四人囃子という夢のような共演だっ た。
 別の言い方をすれば、YMO+プラスチックスともいえる。

 実は、ボクはYMOのファンでもあるが、佐久間氏の発言を読むと当時は(1980年頃)、相当ライヴァル意識があったように感じる。プラスチックスの他のメンバーがYMOと親しかった中で、佐久間氏だけが、距離を置いていたような気がする。それだけに、このイヴェントの共演は、J-ROCK史上では、一つの“事件”だったのでは?

 でも、ベース・マガジンの中で、佐久間氏は、日本人の中で唯一認めるべーシストとして、細野さんをあげていた。きっと気になる存在なのだろう。いつかまた、二人の共演を見たいなーと思う今日この頃である。

(1998/10/20)


唯是 一寿(ゆいぜ かずとし) さん

 8月10日に、アスペクトより発売された「電子音楽インジャパン」という本に、佐久間氏のインタヴューが載っています。四人囃子からプラスチックスに至る過程の出来事が、かなり詳細にわたって記録されています。有名書店の音楽本コーナーには、たいてい置いてあると思います。

(1998/10/9)

(注 by ページマスター)ご紹介いただいた書籍は、9月に行った佐久間さんインタビューの際に参考にするとともに、インタビュー場所にも持参しました。非常に良くできた文献ですが、佐久間さんによれば、「これ何カ所か間違ってんだよね。。」とのことでした。


常連の細川さんからです!「アーリー・デイズ」の感想などお送りいただきました!

 ご無沙汰してます細川です。やっと手に入れました「アーリー・デイズ」!

 蘇る70年代とでも申しましょうか、タイムスリップしました。全体に初期のピンク・フロイドのテイストが溢れ、坂下氏のキーボードが結構随所で光っています。ブリティッシュ・ロックのカッコいいフレーズはバンバン取り入れてオリジナルにしちゃえって感じもしていますね。その後のアルバム「一触即発」で結実するパワーと才気のアイドリングが充満しているようなこの時期です。

 「あなたはわたし」は本当にいい曲ですね。末松さんの詩は泣けるし、森園氏のボ―カルも心に染みます。「ネッシー」みたいにライブで演ってあたため膨らましてほしかった1曲です。

 田口史人氏のライナー・ノーツも素晴らしい!ホントに四人囃子のことをよくわかっているというか、読んでいてうなづきまくり、嬉しくて顔が緩んでしまいました。

 ちょっとだけ残念なのはCDジャケットのデザインで、吉浜さんの写真は良いのですが…。

 ところでジャケットといえば「一触即発」のあのパイプを咥えたモンキー?のイラストはすごいですね。一度見たら忘れないインパクトとポップ感覚、裏ジャケで象と亀の大きさが逆転しているシュールさも囃子の世界に呼応してます。

 BOXセットのおりには是非あのイラストレーターの方にご登場願いたいと思っています。

(1998/10/9)


下に掲載した「高橋さんへのご回答」をいただいた田村さん

 冷や汗ダラダラの田村です。

 灘井さん、そして佐久間さん。有り難うございます。このHPで20年の誤解が次々明らかになっていくので、恥ずかしいやら、うれしいやら。うーん、これ以上、勘違いしていることはないだろうか。(^^;)

ついでに、もう1つ質問。ゴールデン・ピクニックス発売後の日比谷野音(5月5日、子供の日)。BOXセットのページでも載っていたようにハルオフォンの小林氏が代役で数曲演奏しました。僕の記憶では、インストナンバーのみ。

なすのちゃわんやき ・ブエンディァ ・レディバイオレッタ だった筈。(田村の筈はあてにならないか)このとき、フランクザッパの曲が演奏されたと思うのですが、曲名とか覚えている人が教えて下さい。

 このステージの写真を当HPで見たとき、あの日の悲しい思いをがちょっと戻ってきたようでした。実は同級生から深夜放送で四人囃子が出演したが、森園さんの脱退を告げていたと教えられていたのです。それでも、日比谷公園の中を通っていくとバイオレッタのリハーサルが聞こえてきたので、なんだ嘘か、と思っていたのに。当日の演奏は坂下さんの頑張りが印象的で、ブエンディァでは以前はエレピだったソロをこの日はオルガンでガンガン弾いていました。ザッパの曲(?)もさすが囃子の演奏は凄いと思わせるものでした。日比谷野音始まって以来のワンバンドコンサートのはずが、ジュリエット(急に呼ばれたので、酔っぱらっていた),クリエーション、内田裕也氏が駆けつけ、最後はロックンロールセッション大会というフェスティバルになってしまったのでした。セッションでも坂下氏のオルガンは目立っていました。

思い出話のついでに

 ゴールデンピクニックス発売前、FM東京(?)で森園さんのインタビューがオンエアされています(15分ほど)。テープに採っていますが、ギターの音色の話、パリッシュやエッシャーの絵の話やお客の話、などなどのついでに。「俺の女を誰かバンドの奴が持っていって、それをまた、誰かが持っていって、で、戻っていったかと思ったらまた別の奴がもっていって。それが1日であったら、もうやってられないや、とかなるかもしれないけど」うーん、そういうことがあったのでしょうか。

 あと、僕のネタとしては
「音楽専科 ‘74 6月号」モノクロ 8ページ
洋楽専門のマニア向き雑誌が初めて日本のグループを取り上げた。

「毎日グラフ ‘75 11/16」 人気バンド勢ぞろい
クリエーションや外道などとカラーで各バンド1ページずつ。ワールドロックフェスの頃、茂木さん、佐久間さんのいる5人編成時のもの

 今の若いフアンには判らないだろうけれど、四人囃子がラジオにも雑誌にも登場することは滅多になくて、たまにNHK AMラジオの「若いこだま」(DJサンディーアイ)に出てもあまり喋らず、煎餅をポリポリ食べる音ばかり聞こえていました。中村さん、茂木さん在籍時でした。

 若いこだまで思い出した。前に、蓮沼さんのメッセージに「安全囃子」のコンサートの話がありましたが、頭脳警察のバックを四人囃子がすることがあって、その時は「頭脳囃子」だったそうです。DJをパンタ氏がやっているとき、岡井さんとの電話インタビューでそんな話をしていました。

だから、なんなのだと云われると困るけど、

(1998/10/6)


田村雄司さんから、早速のご回答!

(佐久間さんの「正解」が先に掲載されていますが、高橋均さんのご質問に対してそれ以前にいただいたの回答です。)

情人の読み方。

 「あだし」と読むと思っていました。ところが国語辞典、古語辞典にも載っていない。うーん、自信がなくなった。自分のオボロゲな記憶では、江戸時代の吉原とか、品川とかの女郎の使っていた言葉のような気がします。要するに岡場所の言葉。「あだしのために」って歌っているように聞こえません?

 このHPのおかげで森中秀二の正体が24年経って判りました。てっきりそういう作曲家がいるんだと思い込んでいました。「ハマベス」ってどこか外国の言葉だと思っていました。

 ところで、作詞家の末松康生さんって、その後、歌謡曲の作詞をされている森雪之丞さんですよね。20年そう思い込んでいるんですが、違うんでしょうか?

(1998/9/26)

(注 by ページマスター)おっと、新たなご質問だー!う〜ん。。違うと思いますけど、囃子(本物)メンバーに確認してみますね!


“四人囃子カルト王”の灘井(四人囃子トリビュート・バンドのギタリストです。いや〜、ホントによく知ってるんですよ。本物メンバーが忘れていることまで知ってるの。。笑 )

 末松さんと森さんとは、まったくの別人です。というより、末松さんはちゃんと実在する人です、と言った方がいいのかな?

ちなみに、末松さんは6年ほど前に目黒で行われた、四人囃子が出演するコンサートにゲストとして(歌とハーモニカ)出演されたことがありますよ。

簡単ではありますが、お答えということで。

(1998/9/28)


佐久間さんのご返答!

高橋 均さんのご質問ですぅ〜!どなたかお答えをお願いします!への回答。 

 「NeoーN」のナチュラルの歌詞ですが、「情人」は「アマン」と唄っています。
 ちなみにフランス語ですね。作詞は私のPLASTICS時代の仲間「島 武実」です。

 ボコーダーでこの歌詞を歌った本人より。

 PS:すみません、わかりずらくって(^_^)

 佐久間正英

(1998/10/3)


高橋 均さんのご質問ですぅ〜!どなたかお答えをお願いします! 

 4月にメールして以来、久々のメールです。あ、高橋と言います。
 昔からずーーと気になっていて未だに良く分からないことがあるんです。
 「NEO-N」収録のNATURALの中で、「熱のために 情人のために 孤独のために」という歌詞がありますよね。この「情人」というところ、何て歌っているんでしょう?聞き取れないんです。

 20年近く悩んでいます。だれか教えてください。

(1998/9/26)


ローレンシウムさんから、岡井さんのプロデュース&レコーディング情報です!みんな買いに行こ〜ネ!

 9月18日発売の黒沢健一さん( L⇔R)のソロアルバム「first」の中で、岡井大二さんがdrumsなさっている曲があります。

2.Rock’n Roll
3.Round Wound
5.Mad Man Across The Water
6.Easy Romances
7.Morning Sun
8.Wondering

 2.5.6 の bassはキングクリムゾンのTONY LEVINがやっています。
 で、7は、私が見ると奇妙な組み合わせに見えるんですけど、(楽器とやっていらっしゃる方が)、岡井さんは、percussionをやってます。

 もし、よろしかったら、聞いてみて下さい。四人囃子のファンというよりは、60、70年代のUKが好きな人には、気に入ってもらえるかなとか思えるアルバムだと思います。

(1998/9/20)


この書き込みは書込者よりのご依頼に従って削除しました(2011年10月8日)

(1998/9/20)


2万アクセス記念!伊藤敦さま!


青木@四人囃子ページ”名主”様。

ご無沙汰しております、以前「二十歳の原点」と「拳法混乱」のジャケットの graphics dataを送った伊藤です。

早速ですが、2万人目のアクセスは私でした!\(^ё^)/

証拠のスクリーン・ショットを下記のURLに置いてありますのでご確認下さい。

http://www.××××.××.××/××××/××××/××××.gif

最近は「四人囃子BOXセット」の正式決定や「二十歳の原点」CD再発など嬉しい話題が多いですね。
特にトリビュート・バンドへの佐久間・岡井さんの参加には驚きました。
僕も自分のバンドが暇になったらトリビュート・バンドに参加したいと思っております。

これからも充実した「四人囃子ページ」に期待しております。では!

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      伊藤 敦 <Ito, Atsushi>
       ××××@××××.ne.jp
       ××××@××××.ne.jp
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(1998/8/31)


ささき のぶたかさん(数十年前に佐久間さんの“遠くまで合唱団”にご参加になっていた方だそうです)

  マーチャンのご活躍、大変誇りに思います。
  今でもアルコールが入ると、「遠くまで」 のギターを引きずって、夜中に家族のひんしゅくを...。
  それでも僕は、僕を捨てやしないぞってなところで、歌っていますよ。「遠くまで....

何処まできたんだろうか、
何処へきたのだろうか、
僕たちは....
足跡は見えるか、
足跡を見つめられるのか....
前は?
遠くまで
今、家を出た娘に電話をしたよ
元気だったよ
......遠くまで.....」

  3年ほど前に、マーチャンから頂いたテーマの僕なりのお礼を曲にしてみました。サラリーマンの酔っ払いの成果です。...ケ.ケ.ケ. ^○^

  それでは、更なるご活躍を楽しみにしております。すっかりおっさんになった フケミン.

(1998/7/31)

(注 by ページマスター)
佐久間さんに対する、ささきさんなりの御礼を “遠くまで” のコード進行にあわせて曲にしてみたそうです。
また「3年ほど前」とあるのは誤りで、7、8年前にだそうです。


蓮沼 充男さんからたくさんの思い出話をいただきました!ありがとうございますぅ!う〜ん!どれも興味深い〜!楽しいぃ〜!

 はじめまして!
 四人囃子のホームページがあるなんて!
 今日一日中感動しまくっていました(写真スゲェー!!)。

 −はじめに−
 ぼくは以前(12,3年前)、アマチュアのプログレバンドをやっていました。その時に練習で使っていたスタジオに何と、岡井さんが、よく来ていたのです!

 −20年前の思い出−
 中学生3年生だったぼくは、四人囃子が好きで「一触即発」や「ゴールデン・ピクニックス」をピンクフロイドやディープパープルなんかと一緒に聞いていました。
 ちょうどその頃、埼玉会館というところでEASTWESTというYAMAHA系のロックコンクールがありまして、そのゲストとして四人囃子が出演しました。
 「プリンテッドジェリー」発売直前の頃で、その時初めて佐藤満氏を見ました。
 新曲中心の小1時間ぐらいのライブでしたが、アンコールではちゃんと「一触即発」を演奏し喝采を浴びていたのを覚えています。
 同じような時期に、荒川の河川敷で毎年行われていたフリーコンサートに「森園勝敏&バーズアイビュー(たしかこのバンド名)」が出演していました。当時森園先生は、ストレートのとても長い髪で観客から「武田鉄矢!」と野次られていたのを覚えています。
 ●雑談1★
 また、共演でマンドレイク(Pモデルの前身バンド)が出ていて、その時に演奏された「犯された宮殿」という曲が、NHK−FM浦和でオンエアされました。
 そんなわけで、スタジオで始めて岡井さんを見た時すぐに「あっ、岡井さんだ!」と判ったし、ファン心理としてかなり緊張した覚えがあります。その時、もらったサインは今でも大切にしています。

 −12,3年前の思い出−
当時、岡井さんは「TV」というバンドのドラマーを、指導していたように思います。
 ●雑談2★
「TV」というバンドは、のちに「TMN」のサポートメンバーとなる葛城さん(この人がまたいい人)を中心としたロックバンド。 (ドラムは後釜として、現「ジュディ&マリー」の五十嵐公太氏が加入)
 ぼくがサインを求めると、岡井さんは「俺のことよく知ってるね!?」なんていいながら快くサインしてくれました。
 ほんの一月程度だったと思いますが、ぼくにとって、とてもいい思い出となりました。

 最後にぼくの四人囃子に関する記憶を書いておきます。

 −記憶の断片1−
 岡井さんが、「ダディ竹千代とおとぼけキャッツ」再結成ライブのリハーサルをしていたとき何と、あのカルメン・マキがやってきて「午前1時のスケッチ」を歌っていました。もちろんドラムは岡井さん!震えました!

 −記憶の断片2−
 岡井さんが、渋谷の「マザース」というレコード屋の袋を持っていたので、中を見せてもらうと、ピンクフロイドの「夜明けの口笛吹き」が入っていました。だから何?

 −記憶の断片3−
 当時、岡井さんは徳永英明のバックもやっていて、「明日ベストテンに出るから見てよ」と言っていました。たしかに、岡井さんが映っていました。

 −記憶の断片4−
 年代は少し後になるのですが、埼玉大学の学校祭のオールナイトコンサートに安全バンドと四人囃子が合体した「安全囃子」(笑)が出演しました。 メンバーは、
岡井さん:Dr
森園氏:G
相沢兄弟:G
長沢ヒロ:B
の5人組みで、四人囃子の「レディ・バイオレッタ」、安全バンドの「13階の女」(名曲!)などを演奏しました。

 −記憶の断片5−
 3年ぐらい前、「WINS」の石黒彰さんのセッションで六本木ピットインに森園氏がゲスト出演!
「一触即発」と「空と雲」を演奏しました。
メンバーは、
森園氏:G
和田アキラ:G
石黒彰:Key
永井敏己:B
神保彰:Dr
 これは笑えました!
森園先生の当時のままの唄とギター、
そしてアランホールズワース張りの和田アキラのギター、さらには苦しそうな8ビートを刻む神保彰! すごい! すごすぎるっ! (本当の話です)

 また、なにかありましたらメールします。
さようなら。

(1998/7/3)


おなじみの細川 秀一さんから、森園LIVE情報をいただきました!
みんなで行こうよ!

 HARD DRIVIN BLUES FEATURING MARI KANEKO
  7月3日(金)19:30&21:30
  目黒ステーションホテルB1

 BLUES ALLEY JAPAN TEL03−5496−4381

 メンバー VO 金子マリ
       G 森園勝敏
        B 大西真
              KEY 石井為人
              PER MAC清水
              DR 上原ゆたか

めずらしく小綺麗なところだし、気合はいってる感じ?なのでみなさん是非どうぞ

まるで関係者みたいですが前回高円寺のJIROKICHIの時お客さん少なかったので・・・。

(1998/6/19)


神奈川県藤沢市の川俣 雅俊さん(38才)からのメール

  噫!!感無量ですう!!20年以上まえからの四人囃子ファンです。こんなペ−ジがあるなんて今までしりませんでした。

  私も、四人囃子の貴重なテ−プを持ってます。パイオニアサウンドアプロ−チの目黒のパイオニアスタジオでライブをやった時のFMエアチェック(死語)テ−プをいまだに持っています。
  佐藤ミツル時代のスタ−ト時のライブで初々しさが伝わります。インタビュ−にも皆さん照れて答えています。このぺ−ジにもあってびっくりしました。120分テ−プで音質もザラザラだけど家宝として大事にします。

  プリズム時代の森園は和田アキラの影で目立たなくなっちゃたけど、やっぱりテクはすごいです。一度NHK横浜のリクエストアワ−(知ってる人は知っている)のゲストで出たとき(1978年ころかな)横浜まで見にいきました。ギタ−パ−ト以外をテ−プ伴奏にして弾いてくれました。

  茂木さんや中村しんちゃんやプリも好きです。プレイヤ−とういう本にインタビュ−が以前のっていたのを記憶してます。(ミツルの時)エムザで復活したけど又やってほしいです。

  高校の時はBASSをやっていて四人囃子はマニアックすぎてコピ−できませんでした、OZとかやってました。久々にBASSをもってやってみたくなりました。

  結構うれしくて興奮してるので、いろいろ書いてしまいましたがまた来ます。

  では
  1960年生まれの38才のMAC使いです。会社ではWINソフトのカスタマサポ−トしてます。

(1998/6/19)


鈴木 紀明さんからのメールです
鈴木さんもホームページをお作りになっています

 拝啓

 はじめまして。

 私は千葉県在住の、鈴木と申します。

 こちらのページは検索サイトで知りました。
インターネットを始めた3年ほど前は、冗談半分で「四人囃子」と入力しても何も出てこなかったのに、こちらのページが出てきたときは正直言って感激しました。

 そして、ちょうど私も自身の音楽に関するHPを制作中だったので時間があまりなく、時々そちらで懐かしの音源を聴かせてもらっては一緒にロック体験していた弟と驚喜していました。

 この度、私もHPを公開しましたのでお知らせがてら、ご挨拶にやってきました。是非一度、拙HPをご覧いただきたく存じます。「こだわりのコーナー」の中に「四人囃子」のページを設置してあります。
いまのところ、私が持っている音源をRealAudioで披露したりとか自分のライブ体験を少しずつ紹介していこうと思っています。

 よろしければ、そちらのサイトとリンクを張らせていただければと思いますが、どうやらそちらはリンクやメールアドレスの表示は避けていらしゃるようにお見受けしました。

 まあ、それはそうと、何年経ってもいいものはいいですよね。

 先日は、「包」の音源を聴かせていただきました。あれはライン録りではありませんか? すごく音がクリアですね! 私は、前から5列目くらいで見てました。バッグにラジカセを忍ばせて録ったら、見事に音が割れてました。ですから、ここへ来てこんな音が聞けるなんて感激です。佐藤ミツルの「泳ぐなネッシー」のイントロを聴いたときはほんとうに「あの時」の光景がフラッシュバックしてきました。 私の方も、多少ですが珍しい音源も所有しておりますのでこれを機会に交流させていただけたらと思います。

 HPのURLですが、 「天空庵」 http://www.king.co.jp/suz/music/index.htmlです。
親HPが「亜細亜小吃三昧と電脳談義」 http://www2s.biglobe.ne.jp/~suz/index.htmlとなっており、トップページから天空庵に行くようにもなっております。

 長くなりましたが、これからもよろしくお願い申し上げます。

(1998/6/5)


森園さんの雑誌登場情報です〜!
トリビュート・メンバーの灘井さんがお寄せ下さいました。

 四人囃子関係者の雑誌掲載記事です。

 6月2日発売の「プレイヤー7月号」にビンテージギターの特集記事が掲載されているのですが、そこで先日発売されたアルバム「Vintage Guitar File」が紹介されています。
(いや、このアルバムの紹介に絡めて、ビンテージギターの記事が 載っていると言った方が正しいかもしれませんね。)

 紙面ではこのアルバムにて使用されたビンテージギター&アンプの数々がそれぞれ写真入りで紹介され、さらに今回プロデュースを手掛けた「森園勝敏」氏のインタビューが掲載されています。
 写真もあります。
 今度はカラーです。久しぶりだなー、カラーなんて。

 四人囃子の名前は出てきませんが、ビンテージギターに関心のある方には興味のある内容ではないかと思います。
 もちろん「Vintage Guitar File」を買った方にも。
 さらにもちろん森園ファンにも。

 それではでは。

(1998/6/3)