Musicians & Songs

1、イエロー「国旗はためく下に」

2、四人囃子「おまつり」(2'44)
          *REMIX '73日比谷公会堂   協力:東京映画(株)

3、岡林信康withはっぴえんど「私たちの望むものは」
4、めんたんぴん「コンサート・ツアー」
5、ゴダイゴ「モンキー・マジック」
6、シーナ&ロケット「ユー・メイ・ドリーム」
7、憂歌団「嫌んなった」
8、ジョニー、ルイス&チャー「スモーキー」


  Video Clips

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『日本ロック映像全集』より Time File Size
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  アーティスト解説  (1994年8月 増淵 英紀)

四人囃子

日本が誇るハード・プログレの最高峰といったら、まずこの四人囃子の名を挙げたい。森園勝敏(G)、岡井大二(D)、中村真一(B)、坂下秀実(Key)からなるオリジナル・メンバーでレコーディングされたデビュー作『一触即発』('74)は、類い希な演奏力と創造性、レコーディング技術がかみ合った名作中の名作である。本作では上記のオリジナル・メンバーによる貴重な映像と、当時日本のロック・アーティストを精力的に撮っていた迫水正一氏の写真とを組み合わせて再編集している。演奏の方は、レコード・デビュー以前の貴重なライブ・テイクが使われている。


  Notes

 本シリーズの中心になっているのは'70年代だが、当時のメインストリームはフォークであって、ロックはどちらかといえばアンダーグラウンドな存在であった。しかし、こと日本のロック史という観点から俯瞰すると、極めて重要な時代であったことは間違いない。というのも、この時期に日本のロックはそのスタイルを確立し、カウンター・カルチャーとしてのロック、地方都市発のローカル・ロック、ライブ・ハウス、野外コンサートといった様々なムーブメントが生み出されたからだ。また、その一方で音楽的には多様化の一途をたどり、あらゆるジャンルが登場したのも'70年代、この時代だったのである。

 その幕開けといえば、成毛滋の提案で始まった日比谷野音の「10円コンサート」('69年9月から始まり、後には100円コンサートとなる)だっただろうか。ここではまだ慣れないまでも、当時の英米ロック・シーンの流れを反映してジャム・セッションなども行われ、GS以後の本格的派ロックを目指すミュージシャンの意気込みが窺えた。が、当時はGSブームの反動か、ロックは英語で歌うものという通説が浸透していて、カバー/オリジナルの別なく稚拙な英語で一生懸命歌っていたものだ。

 そんな風潮に一石を投じたのが、「日本語のろっくとふぉーくのコンサート」、「フォークからロックへ」などと題された一連のコンサートであった。その中心となったのは岡林信康とはっぴいえんどで、両者がレコーディング及びライブで共演したことが波紋を呼び、英語派と日本語派に分かれた大論争にまで発展することになる。こうした日本語派によるロック表現が広がるのだが、これは実質的な“日本のロック”の幕開けだったといえるかも知れない。今となっては考えられないことだが、ロックの黎明期ならではの出来事であった。

 一方、カウンター・カルチャーとしてのロックが認識され始めたのも'70年代初頭のことだ。「ロック・イン・バリケード」、「ロックはバリケードをめざす」といった当時のコンサートには、そんな時代のムードが色濃く反映されていた。中でも成田空港建設反対闘争のさ中、'71年8月に三里塚で開催された「三里塚日本幻野祭」は、そのクライマックスともいうべきイベントだった。本シリーズにも収録されているが、ここで圧倒的な支持を得た頭脳警察の名演はいまだに“伝説”として語り継がれている。京大西部講堂を本拠とした“西の村八分”に対して、“東の頭脳警察”などと言われていた時代である。

 このころから日本のロック・シーンは、一気に多様化し始める。“ロックン・ロール・リヴァイヴァル”を盛り上がらせたキャロルとファニー・カンパニーという東西の2大R&Rバンドの登場。山下達郎のシュガー・ベイブ、さらには、吉田美奈子、南佳孝、鈴木茂&ハックル・バック、荒井由実、小坂忠、布谷文夫&ココナッツ・バンクスらティン・パン・アレー系のシティ・ポップス。ファー・イースト・ファミリー・バンド、コスモス・ファクトリーらのプログレ系。安全バンド、四人囃子、カルメン・マキ&OZらのハード&プログレ派。プリズム、スペース・サーカス、カシオペア、しーちゃんブラザーズ、ベイカーズ・ショップ、小林泉美&フライング・ミミ・バンド、美乃家セントラル・ステーション、カミーノらのフージョン系。オレンジ・カウンティー・ブラザーズ、ラスト・ショーらのカントリー・ロック系。そしてハード&ヘヴィ・メタ、ファンク、テクノ、パンク、ニュー・ウェイブetc・・・・・・。'70sの10年間に、ロックのあらゆるスタイルが出尽くしたといっても過言ではない。

 ライブ・ハウスや野外フェスがシーンの主役となっていったのもこの時代だった。'72年5月に新宿に開店したブルース中心の「マガジン1/2」、6月に吉祥寺に開店した「OZ」、'73年2月に京都に開店した「捨得」、さらには「西荻ロフト」、代々木の「いちごの目覚まし時計」、「荻窪ロフト」などを中心にライブ・ハウス・シーンが形成されていった。そして「春一番コンサート」をはじめとした管理されることのない自由な気風の野外コンサートも、全国各地で開かれるようになる。アメリカのヒッピー・ムーブメントから派生したカウンター・カルチャー、ドラッグ・カルチャー、エコロジーが、ファッションではなくライフ・スタイルとして日本のアンダー・グラウンド・シーンに定着し始めたのもほぼ同時期だったように思う。フリークスの為のメディア紙「名前のない新聞」が発刊され、国分寺の「C.C.C.」や「京都の聖家族」をはじめとしたコミュニティやロック・ハウスが全国各地に誕生すると、それら拠点を結ぶフリークス達の旅“ミルキー・ウェイ・キャラバン”が始まった。

 そんな中で'70年代後半までにかけて数回に渡って神奈川大学の講堂で開催された「オール・ナイト・レインボー・ショー」はフリークスの祭典として知られていた。そこでのスターはキャロルやティン・パン・アレーではなく、裸のラリーズやアシッド・セブンといったよりディープなアーディスト達であり、日本のロック界のもうひとつの側面を伝えてくれる空間となっていた。兄弟的関係にあった野外イベント「夕焼け祭り」が“太陽”を司るコンサートだったとすれば、「レインボー・ショー」は“月”を司るコンサートだったということが出来よう。

東京都中心に動いていた感のあるロック・シーンが転機を迎えたのは'74年頃のこと。地方都市を本拠にしていたローカル・バンドの台頭が始まったのである。関西ブルース・ブームの立役者であるウエスト・ロード・ブルース・バンド、ブルース・ハウス・ブルース・バンド、ファツ・ボトル・ブルース・バンド、憂歌団などの京都勢、大阪の上田正樹とサウス・トゥ・サウス、桑名正博、桑名晴子、神戸のアイドル・ワイルド・サウス、名古屋のセンチメンタル・シティ・ロマンス、石川県小松市出身のめんたんぴん、T・バード、福岡のサンハウス、沖縄からは喜納昌吉&チャンプルーズ、知名定男、紫、コンディション・グリーン、そして北海道からはスカイドック・ブルース・バンドらが登場した。これらローカル・バンドの多くは、当時都内各地に続々と開店したライブ・ハウスやコンサート・イベントに出演して人気を集め、沈静化していた東京のシーンを活性化させ、ロック・ブームの火付け役となったのだった。

 一方、こうした動きに呼応するように、東京及び近郊からも多くのバンドが登場してくる。金子マリ&バックス・バーニー、オレンジ・カウンティ・ブラザーズ、ボブズ・フィッシュ・マーケット、パンタ&ハル、久保田麻琴と夕焼け楽団、ルージュ、ムーン・ライダース、外道、キング・コング・パラダイス、ウィーピング・ハープ・セノオ&ヒズ・ローラー・コースターetc。。。。ここに至って、それまで日本のロックに見向きもしなかったレコード会社もこぞってロック専門のレーベルを設立し始め、'75〜'76年を境にしてロック・グループのデビュー・ラッシュが続くのである。

 その後のことは周知の通り。'80年代に入ると、ロックはショー・ビジネス化しレコード・セールスも飛躍的な伸びを見せる。'70年代、日本のロック・バンドの多くは、レコードも売れず、苛酷なツアーに明け暮れる苦難の時代を過ごしたが、そこには今のロックには無いピュアな精神(スピリット)が息づいていたように思う。当時の貴重な収録した本シリーズから、そんな一端を少しでも感じてもらえたら幸いである。

 なお、本シリーズに収録された映像のほとんどは20年近く前のものであり、それだけに画質の劣化が著しいものや映像と音声が一致していないもの(この種のものはREMEIXと表示)もあるが、あくまでも現存する映像の中での希少価値を優先させたという編集方針を御理解いただければ、と思う。



1994年8月 増淵英紀