ジャケット・カラーは「ブライト・シャイン・シルバー」です
色を再現することができず申しわけありません
スキャニング協力:加納正朗


 Songs

M TITLE WORDS MUSIC ALBUM Member Group
1 NOCTO-VISION FOR YOU 島 武実 佐久間正英 NEO-N E
2 空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ 末松康生 森園勝敏 シングル B
3 レディ・バイオレッタ Instrumental 森園勝敏 ゴールデン・ピクニックス C
4 ハレソラ 佐久間正英 佐久間正英 PRINTED JELLY D
5 MONGOLOID-TREK Instrumental 佐藤満 D
6 NEO POLIS 島 武実 佐藤満 NEO-N E
7 ファランドールみたいに 坂下秀実 坂下秀実 D
8 眠たそうな朝には 佐久間正英 佐久間正英 D
9 ナスのちゃんわんやき Instrumental 中村真一 ゴールデン・ピクニックス C
10 一触即発 1973LIVE 末松康生 森園勝敏 ’73四人囃子 A
11 ピンポン玉の嘆き Instrumental 岡井大二 一触即発 A

All songs arrangement by YONINBANYASHI

Member Group

MEMBER

PART

ORIGINAL ALBUM
A 森園勝敏
中村真一
坂下秀実
岡井大二
Lead Vo. Guitar
Vo. Bass
Keyboards
Drums
一触即発(1974-6)
B 森園勝敏
佐久間正英
茂木由多加
坂下秀実
岡井大二
Lead Vo. Guitar
Bass
Keyboards
Keyboards
Drums
空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ(1975-9)
C 森園勝敏
佐久間正英
坂下秀実
岡井大二
Lead Vo. Guitar
Bass
Keyboards
Drums
ゴールデン・ピクニックス(1976-5)
D 佐藤満
佐久間正英
坂下秀実
岡井大二
Lead Vo. Guitar
Vo. Bass Key
Vo. Keyboards
Vo. Drums
PRINTED JELLY(1977-8)

包(1979-7)

E 佐藤満
佐久間正英
茂木由多加
岡井大二
Lead Vo. Guitar
Vo. Bass Key
Vo. Keyboards
Vo. Drums
NEO-N(1979-11)

 Album Credit

Produced by PLAY COM. co.,Ltd.
Art directed  by MIC * ITAYA
Designed by TABOU

 Notes

 咋年12月に復刻された5枚のCDが、四人囃子再結成のプロローグになろうとは、その時点では淡い期待を抱くことはあっても具体的に想像することは出来なかった。たしかに予感と時代の気運はあった。続々とCD化でリイシューされた'70年代の日本のロック名盤と、それが引き起こした再評価の動き。その動きも実に自然発生的で、“ロックが本物だった時代!'70”というコピーではないが、今ほどビジネス的にも状況的にも恵まれていたわけではなかったその時代(いや、だからこそか?)の日本のロック・バンドの多くが明確な個性と斬新なサウンドを持ち、それが当時のことを知らない若いロック・ファンにも新鮮で魅力的なものとして受け入れられたという事実は、当のミュージシャンやスタッフを勇気づけたことは想像に難くない。
 中でも伝説のロック・バンドとして各方面から高い評価を得ていた四人囃子は、CDのリイシューと同時に好セールスを記録し、特に長い間、廃盤状態で幻の名盤として中古レコード店では数万円で取リ引きされていたという『一触即発』は六本木WAVEの邦楽CDチャートで売上No.1になるなど、大きな反響を巻き起こしたりもした。更にお祭リ的なメモリアル・リユニオンとはいえ、同時代に活躍したサディスティック・ミカ・バンドのセンセーショナルな復活等、まさに時代の後押しを受けて四人囃子再結成の為の舞台は出来上がリつつあったといってもいい。
 しかし、昔から身近に四人囃子と接してきた人間にとっては、単なる時代の空気や再結成ゴームに便乗しての“お祭リ的”あるいは“ノスタルジー”としてのリユニオンは絶対にないという確信に似たものがあった。それは、'70年代において、アルバムを発表する度に時代の先を見つめ、常に実験的、前衛的姿勢を崩さずに、言葉本来の意味ての“プログレッシヴ・ロック”グループとして変貌を遂げてきた四人難子というバントにカルマのようなものを嗅ぎとっていたからかもしれない。
 そんな中で突如として四人囃子再緒成のニュースが伝えられたことは、嬉しくはあったがある種、複雑な思いもあった。理由はただひとつ、今という時代において四人囃子と名乗って再結成することの意味の重大さ、周囲からの過大な期待にどう応えてくれるのかということだった。果たして7月1こリリースされた10年振リのニュー・アルバム『Dance』には、その答えがギッシリと詰まっていた。“ノスタルジー”“お祭リ的”な要素が見事なほどひカケラもないサウンドの提示、そこで展開されていたのは紛れもなく'89年型の四人囃子サウンドだった。まるで10年前のラスト・アルバム『NEO−N』と見えない線でつながっているかのような音世界、それでいながら確実に現代という時代の空気を孕んだサウンド。その関連性は、再結成というよリ、10年という少し長めのブランクを経ての再活動というに相応しい内容であったことに異論を唱える人はいないだろう。
 この10年ぶりの『Dance』では岡井大二、佐久間正英、坂下秀実という最も長く四人囃子に在籍した3人による再緒成となったわけだが、同時に発表された9月22/23日のMZA有明でのライヴには森園勝敏、佐藤満の両ギタリストの参加も伝えられ、必然的に四人囃子の集大成的なステージを見せてくれることを約束してくれたことは、ファンにとって何よリのプレゼントに違いない。何しろ'70年代においてもライヴの素晴らしさが彼らの評価を一気に高めたにもかかわらず、P.A.や照明等の条件が揃わなければステージに立たなかったようなところがあリ、極めてライヴ本数の少ないバンドだったことが、彼らの存在を一層“伝説”たらしめていたような部分があったからだ。それが、初代〜二代目の両ギタリスト参加のライヴを同時に体験できるというスペシャル・コンサートとなるだけに、僅か数時間で2日分のチケットがソールド・アウトとなリ、マチネー公演が追加されたのも当然といえば当然の結果といえるだろう。
 ところで、ここまで四人囃子の再結成が注目を集めると、気になるのは今後の動向だ。現時点で決まっているのは、MZA有明でのコンサ一トを収録したライヴCDとビデオが12月に『full−house Matinee』としてリリースされるということだけだが、今回の再結成は別に期間や内容を限定したものではないらしい。まだ具体的なプランがあるわけではなさそうだが、可能性としては四人囃子というグループ名を使う、使わないは別にしても今回の再結成で改めて確認できた特殊なミュージシャン・シップを基に、新たなプロジェクトに発展することも充分にあリそうだ。
 さて、そんな中で今回、タイミング良く『HISTORY』と題された四人難子のベスト・アルバム的内容を持つコンピレーション・アルバムがリリースされることになった。そこでタイトルに因んで、改めて四人難子の歴史を簡単に振リ返っておきたい。
 四人難子が結成されたのは'71年5月のことだが、その母体となったのは、岡井大二(D)森園勝敏(G)中村真一(B)によるTHE SANNINというバンドたった。当時の高校生バンドの多くがそうだったように、クリームやディープ・パープル等のコピーを得意とするハード・ロック・バンドだったTHE SANNINだが、音楽的な拡がリを求めて森園の高校の同級生だった坂下秀実(K)をメンバーに迎えた時点で四人囃子として新たなスタートを切ることになった。
 ちょうど'70年から'71年にかけての海外のロック・シーンといえば、ピンク・フロイド、エマーソン・レイク&パーマー、イエスがそれぞれ時代の鍵を握る重要なアルバムを発表した時期でもあり、“プログレッシヴ・ロック”が注目を集め始めた頃でもあった。そんな中で高校生としては並はずれたテクニックを持っていた彼らが、キーボードを加えたことによって“プログレッシヴ・ロック”へのアプローチを見せ始めたのは、ごく自然のなリゆきだったといえるだろう。
 グループの結成と同時に東大の五月祭でデビューした四人囃子は、当時18歳という年令にもかかわらず、高度なテクニックとバランスのとれたサウンドで一躍話題のバンドとして注目を集めることになるわけだが、僕が彼らの存在を知ったのもこの頃だった。当時、僕は高校3年生で、まだ数の少なかった海外のアーティストのコンサートを学校をさぼって長野から東京まで毎回見に出掛けていたロック少年だった。そんなある日、銀座のヤマハ・ホールでみた四人囃子のライヴに衝撃を受け、長野に彼らを呼んでコンサートを行なったことが長い付き合いの始まリとなったわけだ。
 高校卒業後、東京に出た僕は大学には殆ど通わず四人囃子のスタッフ的な手伝いをすることになったのだが、当時は渋谷のジャン・ジャン、吉祥寺の0Zといったライヴ・ハウスや、埼玉の大宮や浦和を中心に自主コンサートを行なっていた“浦和ロックン・ロール・センター”のコンサートなどに出演。ライヴを重ねるごとに着実にファンも増え、バンドとしても目に見えて成長していったこの時期、プロコル・ハルムやピンク・フロイドのカバー・ナンバーに加えて、「一触即発」や「おまつリ」など、四人職子の人気を決定づけるオリジナル曲が次々と生まれたのもこの頃だった。リハーサルの度に少しづつアレンジも変わリ、完成されたスタイルにと形を変えていくのを見ているのは、僕にとって何よリ楽しく充実した時間てもあった。特に四人囃子が優れていたのは各々のテクニックもさることながら、バンドとして音を出した時に生まれるスケール感、周囲のムードを一変させてしまう空間的拡がリを持った音作リにおいて傑出したセンスと個性を発揮していたことだろう。当時はハンドのアンサンブルに重点を置いた日本のロック・クループは皆無に等しく、ドラマチックてシンフォニックなサウンド・アプローチを追求し始めた四人囃子は、単にカバーをやっていたという理由だけではなくピンク・フロイドにも匹敵するような独自の世界を築くようになっていったことは特筆すべきことだろう。
 そんな四人囃子の人気が不動のものとなったのは'73年7月に杉並公会堂で行なった初のワンマン・コンサ一ト“ミラージュ・オブ四人雛子”と8月に六本木の俳優座で行なわれたイベントヘの参加(この時のライヴは『'73四人囃子』としてCD化されている)だった。東宝レコードと契約したのもこの頃で、まずは'73年11月に『二十歳の原点』のサウンドトラック・アルバムをリリースした後、'74年6月に『一触即発』を発表し、日本のロック・ファンに大きな衝撃を与えることとなった。
 '74年8月には小野洋子をゲストに迎えて郡山で行なわれた“ワン・ステップ・フェスティバル”に参加し伝説的なステージを展開。'75年2月には茂木由多加(K)を迎え5人編成になったものの、5月にはオリジナル・メンバーの中村真一が脱退。代わリに佐久間正英(B)が参加して8月には後楽園球場で行なわれた、“ワールド・ロック・フェステイバル”に出演。9月には初のシングル「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」をリリース後、茂木由多加がグループを脱退し再び4人編成に戻るなど、この年はメンバーの変動が多い年でもあった。
 翌'76年5月にはCBSソニーに移籍し、セカンド・アルパム『ゴールデン・ピクニックス』をリリースするが、直後に森園勝敏がグループを脱退するという四人囃子結成以来の危機に直面し、しばらくは活動休止状態に陥ってしまうことになった。しかし'77年2月には、札幌のマーシャン・ロードというバンドで活躍していた佐藤満(G,V)を正式メンバーに迎えて活動を再開。8月にはサード・アルバム「プリンテッド・ゼリー』をキャニオンからリリースし、11月から12月にかけては大掛かリな金国ツアーで新生四人囃子を強烈にアピールし、見事な復活を遂げたのだった。
 その後、四人囃子は'78年7月に『包』をリリースし、日比谷野音でアルバム・タイトルに因んで客席やステージをラッピングしてしまうという奇抜なアイディアによるコンサートを実施。翌'79年11月にはエレクトロニクス・サウンドを大幅に導入し、四人囃子流テクノ・サウンドを追求した『NE0−N』をリリース。このアルバムも各音楽誌等で高い評価を得たものの、パンク〜エレクトロニクス・ポップヘと移行する時代の流れの中で、一般的には正当な評価を得られないまま四人囃子は自然消減によってバンドの歴史にひとつのピリオドを打つことになった。
 その後、佐久間正英はプラスチックスを経てBOOWYやストリート・スライダーズ等のプロデューサ一として活躍。岡井大二、坂下秀実はペグモを経てアレンジャー、プロデューサーとして活躍するなど、各メンバーとも日本のロック・シーンの影の立て役者としての活動を続けながら、今回の再緒成にと至ったというわけだ。
 最後になってしまったが、このCDについてひと言触れておきたい「HISTORY』というタイトルに相応しく、レコード会社の関係でこれまで廃盤のままだったセカンド・アルバム『ゴールデン・ピクニックス』から名曲「レディ・バイオレッタ」「ナスのちゃわんやき」の2曲が始めてCD化されたのが何といっても注目される。セレクトされた11曲は、四人囃子の歴史においてどれも欠かすことのできない重要なナンバーばかリで構成されているのも見逃せないが、改めて聴き直してみると、四人囃子というバンドのスケールの大きさ、フレキシブルな音楽性、実験的、前衛的姿勢など、そ唯一無二の個性的なサウンドには脱帽せざるを得ない。メンバー・チェンジがあっても一貫して変わることのない四人囃子サウンドを持ち続けていることの驚き、また@とEの『NE−ON』からの作品に見られる最新作『Dance』との共通項など、『HISTORY』によってこれまで気付かなかった四人囃子の新たな魅力がまだまだ発見できそうだ。

文・保科好宏